2015年2月24日火曜日

信じられないとわざわざ宣伝するのが解らない


木を曲げる技術がなかったので、荷車や水車は作れなかったし、同様に水を汲む桶も作れなかったので、重い陶磁器の瓶に水を入れ、頭の上に乗せて運んだのが歴史の事実です。

頭に物を乗せて運ぶのは恥だと思っているらしく、前のオリンピックのときからやめた。

 

次に、織物の布を染める技術がないことや、染料が高くて買えないことから、歴史資料としての写真に明確であるように、乳だしチョゴリを纏った女性の衣類は白い無地のものだったことは、諸外国が以前から知るところです。市街地の軒並みも、藁ぶきの汚くて粗末な小屋が映っている写真しかない。たった100年程前のことです。

 

夜、暇になってTVのチャンネルを捻ると、そこらじゅうで時代物の番組をやっている。色鮮やかできらびやかな衣装を着ているが、そんなものは無かったというのは上記の通りです。

時代考証なんてことはしないのだろうか?そんなのは、どうせ作り事だから構わないということなのか?

 

まあそれは夢物語だからどうでも良いとして、口を開けば「信じて下さい。」という言葉がどの番組にも出てきて、それでありながら必ず騙し騙され、裏切り裏切られ、恨みつらみを際限もなく続ける映画物語のオンパレードを、文化だといって世界に広めている意味が解らない。

 

信じられない性状をもった国だと、自らわざわざ宣伝しているようなものだと思うのだが、誰も変だと思わないのだろうか?どうでも良いが、わかりません。

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿