2015年12月9日水曜日

神様が違えば敵同士となるとは?

神の名のもとに人が殺戮されるという不義は、歴史上繰り返されてきたが、今もそれは続いているのかも知れません。

創造主である神が、造った物を神自ら壊すというなら解らなくもないが、そんなことはまずなくて、人が自分の都合でそうしているに過ぎないように思える。

神の意に沿うとは、一体どのようなものなのだろうか?
神はそれが宗教となって、そこに人の思惑が入るとややこしくなる。

人が自分の主義主張を持つのは、ある意味当然なのであろうが、それに反するものを全否定して命まで奪っても良いとする教義というのが理解しにくい。

お互いの協調や説得が効かないほどの思い込みの強さというのは、相容れることを拒むようになるのは何故なのだろうか?

そうしてみると、イデオロギーと宗教は厄介なものに思える。人の幸せとは一元的なもので括るのは難しい。神々が日本のように仲良くなるということはできないものなのだろうか。

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