2018年1月22日月曜日

口出しできることではあるまいに

どうにも理解できないことがある。
自国の政治家が、自国の政権を批判するのはわからなくはない。彼らが信じる主張を掲げて選挙で戦ったのだから、言い足りなかったと思っていることがあるのだろう。

ただ、彼らが政権をとれなかったのは、それらの主張が限られた範囲にとどまり、全般的な政策に信頼がおけないと判断されなかった結果であることは、いかに理屈をつけてみたところで否定しきれまい。
国というのは総合的に運営されるものであるから、全部が良いということも全部が悪いということもないのだから、国民がどこら辺にバランスをとったかということになる。
そこのところを抜きにしてものを言うのは、民主主義の否定につながる。
やっかみ半分で自説に固執しすぎると、国民を馬鹿にしていると思われることと同義のことをを言いかねない。
流石に、政治家が他国の政治家を貶めるようなことは言わないようだが、評論家あるいはコメンテーターと呼ばれる人の中には、他国の細かな実情なぞ判る筈もないのに、やめておいた方が良いと思われることを口走ることもあるから、聞いていて冷や冷やする。
一体何様であると思いあがっているのだろう。そんなに偉いわけでもなかろう。

他国の事情の何を知って何を根拠に放言できるのかが解らない。
他国には他国の事情があり、その中で選挙により首長は選ばれる。それを器ではないなどと、どの口をもって言えるのだろう。自分ならできるとでも思っているのだろうか?

責任感の重さは、そんなコメンテーターの判断力など軽く超えたところにあるのだという謙虚さがないと、他国民をも馬鹿にしていることと同じではないのか。
解らないことは解らないのである。口出しできることでもない。

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