2018年1月27日土曜日

一旦攻撃を許せば終わってしまうのでは?

何をするか解らない北朝鮮が脅威であることは間違いないが、脅威はそればかりではない。
中国の核ミサイルが日本の人口30万人以上の重要都市を標的にしているというのは、かなり昔から知られていることであるが、一般人はそこから目を逸らされている。
今更取り立ててどうのこうの言っても始まらないが、相手国からの攻撃が最初になされれば、日本はそれだけで壊滅する。
自国の防衛を真剣に考えるなら、国際的常識である対抗手段を講じておく必要があるということになる。
理想的には同等の軍事力を持つということで抑止力となるのであろうが、少なくとも飛来するミサイルを迎撃できるように備えるくらいのことは、いかに専守防衛だという制限があったとしても、許容範囲であろう。
相手からの攻撃があってからでないと反撃できないと主張することは、壊滅的な被害を先に受けてしまうことを甘受せよということと同義であり、一旦攻撃を許してしまえば、反撃の機会なぞ望むべくもない。
少なくとも、飛来するミサイルを迎撃できる備えを、またそれを攻撃されても壊滅からは逃れられるように、山岳地帯の地中深くに構築しておくことに国民の合意を得るくらいのことはしておかないと、抑止力にもなるまい。
中国の核弾頭は水爆であるから、廣島長崎の比ではない。
数発打ち込まれただけで、日本は瀕死の重態になることは想像するまでもない。
アメリカが頼りになるとは思えない。というより間に合わないであろう。
これにきっちり対抗するのなら、反撃体制を温存できる体制をとる必要があるが、それには日本も核武装し、原潜を5~6隻造ってSLBMを装備するしかないのかも知れないが、そこまで日本側ができるかどうかということになると難しい。
しかし、現実がどうなっているかということから目を逸らしているばかりでは、実情に合わせた安全は保てないのではなかろうか。
尖閣諸島に原潜を派遣するなど、日本組みしやすしと見くびり挑発を繰り返してくるのを、安閑として見逃していてはなるまい。
うかつにはことを構えられないと躊躇させるのが抑止力である。

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