2018年1月5日金曜日

治しようもないほど病気を進めてしまった?

病膏肓に入るというが、今度は紅白歌合戦のときの着物の模様にまで難癖をつけて騒いでいるらしい。
旭日旗を戦犯旗などと言って騒ぐのは、韓国以外にない。
戦火を直接まじえた米英だって、そんなことは言わない。
ナチのハーケンクロイツとは全く違うものであり、その旗を掲げて正々堂々と戦ったのである。
ましてや、韓国と日本が戦争したなどということはないのに、躍起になってそれを言い立てるのはどうしてなのだろう。
明治以降のことをちょっと調べてみた。

朝鮮は大昔から事大主義の国であり、元の国が強かったときは元を焚きつけ元寇の役を起したし、明であれ清であれ、それが強いときはそれに従うが、勢いが弱まると手のひら返しを繰り返してきた。

いずれにしても韓国は、五百年もの間支那の属国だったことは紛れもない事実であろう。
為政者らしからぬ一部両班の下では、国内に産業らしい産業は育たず、国は貧しくて国民は飢え、その劣悪な環境では当然のことながら、平均寿命は二十四、五歳。主な輸出品目は、支那に献上する貢女と呼ばれる女性と、朝鮮人参くらいのもので、乱伐により山は荒れ果てて禿山状態であった。植林などということは、日本が教えるまで考えられもしなかった。

国内では両班と呼ばれる数パーセントしか居ない世襲制の貴族が、横暴の限りをつくしていたから、発展できるような基盤がない。そのありようを一口で表現するとしたら、未開の野蛮国であり彼らが自慢できるような文明国とはとても言い難い状態であった。

仕えていた清国も、図体は大きくとも昔ながらの中華思想に囚われたまま近代化はできず、産業革命以来国力を増大した西欧諸国に手もなく蹂躙され、信王朝は滅亡するしかなかった。
そんな時代背景の中、明治維新を成功させ、官民挙げて努力した隣国日本は、日清日露の大戦に勝利して世界の一等国の仲間入りを果たしていた。

事大主義の根性は変わることがなく、今度は日本にすり寄ろうとした。
平たく言えば、支那の属国ではなく日本の属国となろうとしたわけである。
かつての列強諸国は、軍事的に制圧できれば、そこを占領して植民地とすることに躊躇わなかった。強力な軍事施設をそこに構築し、更にそこを橋頭保として支配の領域を広げていた時代なのである。
未開の蛮族の生息する地域と見なされれば、早い者勝ちということで、領土は切り取り勝手であった。
国防上、朝鮮半島は日本にとって重要だったからだという人も多いが、そうとばかりは言えない。現に当時の国際情勢を身に浸みて感じていた伊藤博文は、韓国の併合に反対であった。

日本が韓国から「日本の属国にして欲しい」という要求を拒否すると、なんと属国拒否の中心人物であった伊藤博文を暗殺してしまったのである。テロリストであった安重根は、韓国の英雄として祭り上げられているというから、何ともならない。
結果として、伊藤暗殺の翌月には、「韓国は日本と『対等に』合邦して新たな帝国を築く」というとんでもない声明を世界に向けて発表しまったのである。
当時の世界にあっては破天荒といえる「珍事」であった。
世界の一等国として、大英帝国とさえ対等な同盟関係にある列強の日本が、国とさえ認識されていない「未開の蛮族」から「対等な」合邦を言い出されたのであった。

世界列強諸国は、日本に「隣にあるのだから、少しは蛮族の面倒をみてやったらどうだ」と言い出し、合法的条約に反対する国は皆無であった。
併合であって植民地化ではない。事実、植民地としての韓国から簒奪できるようなものはなく、それどころか朝鮮半島の近代化のために膨大な資本投下が必要となった。

さぞ日本が困惑したであろうことは想像に難くない。
人種の平等を唱える日本が、「未開の蛮族」を押し付けられたのであるから、欧米のように植民地として奴隷支配するのでは大義が立たない。
結果として、日本は韓国併合以後三十六年間にわたって、莫大な国費と人材を朝鮮半島に投下し続けたことになる。

朝鮮半島では、八つあった言語がひとつに統一され、数校しかなかった小学校は五千二百校になり、それまで教育を受けたことなどなかった人々を二百三十九万人も無料で就学させ、名前のなかった女性に名前をつけ、戸籍をつくり、住民台帳を整備し、道路をつくり、橋を架け、鉄道を敷設し、上下水道を整備し、路上大便があたりまえだったのをトイレでさせ、病院をつくり、電気を通し、ビルを建て、半島内に古くからある不条理な刑罰や牢獄を廃止するなど、可能な限りの誠意と力を尽くして韓半島の近代化を押し進めたのである。食料の増産も指導し、韓国の人口は二倍に増えた。
感謝されこそすれ、恨まれるには程遠いではないか。

民衆の間に日本統治による治安の安定化や、なにより「臭気のない清潔な暮らし」が徐々に浸透すると、僅かにあった抗日運動も自然と沈静化していったのである。
朝鮮半島は、蛮族ではなく、近代国家の体裁を整えるようになっていった。
惜しむらくは、こうした日本の努力がまだ実りきらないうちに、大東亜戦争で日本が負け、朝鮮半島から去ることになったことである。

こうして、棚ぼた式に大韓民国は独立できたとはいえ、政権樹立の正統性を主張できる政府ができたわけではない。やってきたのは、米国内で李氏朝鮮王朝時代を東洋の天国のように崇拝し宣伝し、日本の悪口をいうしか能のなかった李承晩である。
独立運動の闘士であったなどというゴマカシをいう人もいるが、国内にとどまって民衆と共に居たわけではない。近代化していく姿を体感してもいない。

李承晩は日本が韓国を併合した当時、上海で「大韓民国臨時政府」を作って、その大総理におさまっていたというが、「臨時政府」どころか韓国を独立国ではなく、国際連盟の「委任統治領」にしてくれと、李承晩が米国に懇願していたことがバレてしまっている。即ちこれは、韓国を米国の植民地にして欲しいと言ったに等しい。
なんやかんやでドサクサに紛れて 大統領に就任した李承晩が、大統領として最初にやった仕事が、「親日派の抹殺」であった。
それしかなかったということが出発点であるから、後は推して知るべしである。
公の場で「日本統治時代はよかった」「今の政府は駄目だ」などと発言した者を片端から政治犯として逮捕投獄した。収監した者に対しては、日本が統治するようになってから禁止したはずの李氏朝鮮時代の残酷な拷問道具を復活させてこれを用い、刑務所がいっぱいになると、入獄の古い者から次々と裁判もなしで殺害していった。まさに蛮族の酋長そのものであったが、李承晩が初代大統領に就任してからたった二年で、政治犯として投獄された囚人数は、日本が朝鮮を統治した三十六年間の投獄者の総数をはるかに上回った。
この流れが、今に至るも続いているということになる。
革命でも起こらない限り、歴史がただされることはない。
日本を悪く言い続けるしかなくなってしまっていて、次から次へと難癖をつける種を探すしか生き甲斐が見いだせない。
旭日旗もそういうことなのであろう。


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