2018年1月26日金曜日

願いが叶いやすいかどうか

昨日は、気の合う社長仲間たちで作っている会の新年会ということで、日枝神社に昇殿参拝して参りました。特に願いの筋があってということではなく、家内安全という一般的な祝詞が奏上され御神楽も舞われただけでしたので、さほど時間はかかりませんでした。

願い事を叶えることのできる人というのは確かに居るようです。
何らかの願い事があって、神社仏閣に詣でるのはよくあることですが、なかなかその願いの筋が聞き届けられることはないようです。
 そんな人は、この世的な日常生活においてさえ、誰かにものを頼んでも聞いてもらえないことが多いようです。

 人は他人にものを頼まれても、親身になってそれをやってあげたいと思える相手と、そうではない相手がいます。
 その差は一体なんなのでしょう。
 明らかに言えるのは、その相手が好きかどうかということであり、好きでもない相手に助力しようとすることは殆どありません。
 好かれるということが大事なのですが、好かれる人というのは、相手が喜ぶことを必ずどこかでやっています。
 神様や仏様でも同じことです。お賽銭の多寡では決してないと思えるのです。それが多いから願い事を聞き届けるということではなく、叶えてやろうかという気になるかどうかは、その人の心構えによるように思えます。

ただ、神様も仏様も、先ず第一に清浄であることを望みます。墓石クリーニングをやるのは、喜ばれることの一つの方法です。
 水洗いくらいでは落ちない汚れは、人が衣類の洗濯を水洗いくらいでは満足できないのと同じことだと思うのです。

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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、12月20日、第10部まで書き終えました。

童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。

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