2021年3月29日月曜日

埋もれていない関係

 

尖閣もそうだが、台湾も外からの脅威にさらされている。台湾は昔からつながりの強い国である。

人口が2300万人と、日本の5分の一の国でありながら、日本が震災などに見舞われると、国を挙げて真っ先に多額の義援金を送ってくれる有難い国が台湾である。

台湾に関りがあった日本人を手厚く葬り、祀ってくれている国でもある。

自決することで自らの命を引き換えにし、台湾人日本兵を救った藤枝音衛門氏も、その一人である。

廣枝音右衛門氏は1905年(明治38年)1223日、現在の小田原市にある神奈川県足柄下郡片浦村で生まれ、日本大学の予科に入学した後、1928年(昭和3年)に陸軍歩兵隊に入隊し、軍曹として軍務を経験している。
その後、湯河原で小学校教師をしたが、1930年(昭和5年)には退職し、 台湾警察官を志して台湾に渡ることになった。
台湾に渡ってからは警察官として順調に出世をし、1942年(昭和17年)には 警部にまで昇進したが、1943年(昭和18年)に海軍巡査隊の大隊長として、台湾人巡査隊のフィリピン派遣 総指揮を任されることとなった。

戦況利あらず、爆弾を抱えて敵戦車に自爆攻撃をせよとの命令に接し、「このまま死ぬのは犬死である。諸君らは生きて父母の地に帰り、国の復興に尽くせ。責任は私がとる。」と言ってピストルで自決した。

部下たち500人あまりはアメリカ軍に投降し、後に無事台湾に帰ることができたが、その恩を忘れずに集まって会を作り、遺徳を忍んだ。

国民党の政党下では難しかったが、碑を建てて神として祀った。

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