2015年9月17日木曜日

時間はかけたが審議を尽くさなかったのはどちらだったのだろう?

一度決めたら未来永劫変えてはならない、というものは数少ないのではなかろうか?
法というものも、時代の移り変わりや情勢状況に応じて改正あるいは改定されるのが普通ではなかろうか。

憲法のように基幹となる方が簡単に変えられるというのには問題があるにしても(日本国憲法の改定は、それこそ不可能に近いくらい条文が厳しい)、憲法が改正できるほどの意見が集約される世の中になる方が恐ろしいのではないか?
許される範囲での法解釈により、現実的に対応しないと、国は守れないのではないかと思う。

個別的自衛権でいいという人もいるが、極論すれば、殴られてからでないと自らを守れないというのが現状。
近代戦では、先に殴られたら、それは国が亡びるに等しい。
安保法案が侵略戦争に直結するかのように喧伝されることには、違和感を覚える。
誰でも戦争などしたくないと思っている。
だとしたら、簡単には殴られないように対処しておく方が、戦争を防ぐ手立てとなるのだはないかと思えてならない。

現行の日米安全保障条約は、明らかな片務条約。日本が現状の防衛力を維持しようとしたら、単年度で24兆円かかるという。それが5兆円ですんでいるというのも事実。
片務などご免だということになれば、個別に防衛を考えるということになるから、それこそ徴兵制に結びつきかねない。スイスなどがそうだ。

ものを考え判断するには、感情的にではなく総合的にということだと思う。

大きな声を出せば勝ちだというどこかの国とは違うのだとしないと、民主主義の行方をあやまるのではないだろうか。


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