2018年5月13日日曜日

行き過ぎればパワハラになる

「罪なき者、石を持て打て」という言葉がある。
キリスト教徒というわけではないので詳しくは知らないが、ヨハネの福音書 8章7項がその出典らしい。
律法の運用を間違えていた人々を諭すために言った言葉であるという。

人々が姦淫の罪を犯した女性を捕まえ、公衆の面前に引っぱり出し、律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じられていると言う言葉に対して、「あなたがたのうちで罪のないものが、最初に彼女に石を投げなさい」と答えたという故事による。
異邦人だからとか、穢れている者だからと律法によって裁くのではなく、私たちも同じ罪人として相手のことを考えなさいと説いたのだと思います。

TVなどを見ていると、叩く側になった人が、当事者でも関係者でもないのに、よってたかってここを先途とばかりに、槍玉に上がった人を責め立てるのを目にする。
中には「あんたがそれを言うか?」と訊きたいくらいの人も居る。極めて品が悪い。
被害者と言われる人に対しての疑問点などを口にすれば、「加害者を庇うのか」と決めつけられるから、表立って意見をいうこともできない。

行き過ぎると、それはパワハラになる。
追い詰められて死を選ぶよりないということにもなりかねないのだ、ということも考慮して発言するのが人ではないのか?

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