2018年5月30日水曜日

習王朝の樹立?

北朝鮮がその王朝の存続のみを願って、国民の生活を省みないできたことが限界を迎えたということは、誰にでも理解できる状況に至っている。
そのおまけは共産主義国家であるということでもある。
そのお隣の中国も、共産主義を理念とする国であるが、その実態は政治体制が共産主義ということではあっても経済は資本主義の一番悪い形として表れる弱肉強食の世界に変わってしまっているのではないのか?

誰もが等しく貧しさから救われるなどという幻想からは程遠く、極端な貧富の差に喘ぐ多くの国民が残されたままのように見える。
選挙による正当性を主張しがたい共産主義政治を、社会の実態と乖離した状態で、政権がいつまでも続けられるものなのだろうか?
そういう中で憲法の改正をして、習近平氏の国家主席任期を撤廃したというのは、なんとも不気味なものを感じさせられる。

任期がないということは、即ち王朝の樹立ということである。
中国は、徳を失った王が、初めは小規模で起こった反乱に抗しきれず、根絶やしにされるという易姓革命を繰り返してきた歴史を持つ国である。
ものも言えないで封じ込められている圧倒的多数の民の不満を、この先どうやってなだめていけるというのだろうか?
毛沢東のように、自国民を情け容赦なく圧殺するとでもいうのだろうか。

内乱が起こったら、全世界に影響が及ぼされることは、想像される以上の規模になることに疑いの余地はないのである。
それを恐れての南進策であり、拡大策ということであれば、方向が違うのではないのかと思う。
一部の特権階級のみが大きな得をするような現象が、国民にバレてきていないだろうかと、よそごとながら危惧されてならない。

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