2018年5月22日火曜日

使えない言葉が多くなるのは不自由

パソコンで文書を書いていると、変換できない熟語が沢山ある。
その多くは差別用語だからということらしいが、どう考えてもそれらは普通名詞であって、差別ではなく区別するためにできて使われていた言葉なのではないのかと思えてならないものが多い。
最近使われなくなったものには、スチュワーデスだとか看護婦などというものがある。何故それがいけないのだろう?
近頃は北朝鮮と言っても咎められないが、数年前までは北朝鮮人民共和国といわなければならなかった。
完全に使われなくなってしまっているように思えるものに、第三国人というのがある。これを使うと悪人のように言われる。
しかしこれはそもそもが行政用語であって、戦勝国と敗戦国のどちらにも属さない国のことを便宜上表すためにできた言葉であって、差別用語とは言い難い。
彼らが戦後、不当行為を繰り返し、暴れまわったことで嫌われるようになったことは確かである。
馬鹿でもチョンでも、というのも駄目だという。チョンが朝鮮を表すからだというが、チョンというのは〻のことであり、朝鮮人など居なかった江戸時代から使われている。
意味は取るに足りないというくらいの〻ということである。
部落というのも駄目だというが、子供の頃は、住んでいた村の区分けのために何の問題もなく使われていた。未開放部落と混同するからだということらしいが、返って浮き彫りにしてしまっていないだろうか?
ことほどさように、言葉狩りをし過ぎて、日常生活を阻害してしまっていることはないだろうか?
こういうことを言うと、どっかから責め立てられるから、それを恐れて誰も口にしないが、冷静になって考えてみることも必要なのではないか、と思えてならない。

言葉狩り~「放送禁止用語・出版禁止用語一覧」というのが、ネット上に出ていた。
禁じられているものだけでなく、嫌疑のかかっている用語も集めてます、ということであるが、どうも禁止というよりは、騒ぎ立てる人が居るからそれを避けて、自粛して使わないということらしいのである。

後進国興信所/工夫/黒人五体満足小使い/小百姓/高麗鼠/小役人混血
ずべ公/滑り止め(受験)

一渡り読んでみたが、どうしていけないのか理解できないものも多い。英語に置き換えて、クレイジーだとかブラインドと言うのは問題なしとするなら、その疑問は尚更のこととなる。

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