2018年5月6日日曜日

何の為の諺なのだろう?

諺というものは、人間性や徳性を高めるためのものだと思っていたが、かの国では違うらしい。

朝鮮半島の主な諺

「女は三日殴らないと狐になる」
「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ」
「他人の家の火事見物をしない君子はいない」
「弟の死は肥やし」
「梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる」
「母親を売って友達を買う」
「営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る」
「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける」
「あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを」
「人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる」
「家と女房は手入れ次第」
「野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ」
「らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる」
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む」
「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる」
「川に落ちた犬は、棒で叩け」
「泣く子は餅を一つ余計もらえる 」

こういう考え方が根底に定着しているとしたら、如何に仲良くしようと思っても、用心してつきあわなくてはならないということになってしまい、非常に残念なことである。

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