2014年4月13日日曜日

言葉の用法は時代で変わるというが、「ご苦労様」は?


「ご苦労様です。」というのを目上の人に使うのは無礼だというが、そうなんだろうか?

「ご苦労。」とだけ言ったんならわからなくもないですが・・・

 

よく言われることに「御苦労と」は、殿様が家来に向かって言った言葉、即ち目上の人が目下の人に使った言葉だからというが、殿様は「ご苦労」ではなく「大義であった」と言って労うのが普通であったと思います。
「ご苦労」という言葉の元になる「労苦」というのは、その果たすべき役目、役柄が持つ特有の「苦労」のことであって、公の仕事に関連してのものであるはずです。
組織が一つの仕事をする場合、指示する側と指示される側とでは、結果に対する責任と苦労の度合いが著しく異なります。

極端に言えば、言われた通り動いていれば良い人であれば「疲れる」だけでありましょうが、頭を使って指示する側の上司は、使われる側には窺い知ることもできない、単なる「疲れ」に止まらない様々な「苦労」があるに違いないことは明白です。
であるからして「ご苦労様」とは、そもそもがその「お役目」に対するねぎらいの言葉として出されたのであります。「有難う」の意味をも含んでいたでありましょう。
身近なことで少し考えてみても、仕事先から夫が帰宅したとき、妻が「おかえりなさい。ご苦労様」と声をかけて出迎えたとしたら、妻は上から目線で夫にものを言っていることになるのか?とてもそうは思えない。

「おかえりなさい。お疲れ様」と言うだけの方が軽い扱いで、感謝や労いの気持ちが薄くかんじられないだろうか?

  「お疲れ様」というのは、仕事以外のときに使うのが馴染む言葉なのだと思うのだが、私の記憶でいうと、30年程前からビジネスマナーとして「ご苦労様です」ではなく「お疲れ様です」と言うべきなのだと、誰が言い始めたのだか根拠も曖昧のまま広まった。

それまでは、偉い人が来たときには「ご苦労様です。」帰るときには「ご苦労様でした。」と誰もが言っていたと、確かに記憶しています。


つい先日、選挙が終わったばかりだが、立候補者が「皆さん、朝早くからのお勤めご苦労様でございます!」などと街頭演説をしてるのに対し、うるさいとは思っても「上から目線でエラそううに!」などと思ってはいない筈。どちらかと言えば、低姿勢で挨拶していると感じた人が殆どだったでしょう。

「ご苦労様です」は、役目・役割に対するねぎらいの言葉だと解っているからです。
こうして考えてみると、昔の人は「ご苦労様」は役割に対するねぎらいの言葉であるということを正しく理解していたため、目上の人に対して言うことの方が多かったのに違いなく、最近のビジネスマナーとして定着している「お疲れ様です」の方がおかしいと私は思うのです。

 

「言葉は時代と共に用法が変化するもの」と言われはしますが、本来良い意味で使われていたものが、ゆえなく貶められているのだとしたら、考えてみる必要はありそうです。

他にもそんな言葉が沢山ありそうです。

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