よく思うのですが、物事には「真実」と「事実」と「解釈」っていうのがあって、それが混然として使われ、ときによっては思い込みが信念とまでなってしまっているので、改めて検証もしてみないで世に出ているものが多いのではないでしょうか。
それが自分の頭で考えたり調べたりしたものでなく、思い入れや思惑、宣伝や教育などでそのまま刷り込まれてしまっていて疑ってもみなかったことが、いいもわるいも含めて「えっそうだったの?」となっているとしたら、鸚鵡じゃないんだから、ただ受け売りにすることは考えてみなくてはなりません。
改めて学びなおさねばならないことの多いことに愕然とするのであります。
脳みそのシワも伸び加減になってるしするけれど、顔の皺と違ってこっちのシワはふやさねばなりません。
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