2014年10月2日木曜日

学校では教わらなかったABCDライン


気になることがあって、少し勉強してみました。

 

ABCD包囲網(エービーシーディーほういもう、ABCD encirclement)は、1941年にに東アジアに権益を持つ国々が日本に対して行った貿易の制限に当時の日本が付けた名称。「ABCD」とは、制限を行っていたアメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)と、対戦国であった中華民国(China)の頭文字を並べたものである。ABCD包囲陣ABCD経済包囲陣ABCDラインとも呼ばれる。

事実上の対日経済制裁の日本側からの別称である。また対日軍事同盟を含めたなんらかの秘密協定や合意・密約が存在したとの論であるが、こちらは真珠湾攻撃陰謀説の一部を構成している。

経済制裁および経済封鎖という強制外交手段は私掠船の時代以前から存在したが、非軍事的強制措置の手段として英蘭戦争あるいはナポレオン時にほぼ確立した。戦時国際法においては中立国の権利義務が存在しており、ある国が交戦対象国に経済的圧力を及ぼす目的で中立国に協力を要請し、中立国がそれに協力することは中立義務違反として禁じられている。このため自国の港湾から輸出される貨物が自国の許可書をもたない場合や、自国の港湾や船舶を経由して敵性国に輸出される貨物が許可書をもたない場合、あるいは「経済封鎖」指定海域を航行する商船(船籍を問わず)に臨検したさい自国の許可書を所持しない場合、許可書のない貨物については敵国所有物として拿捕の対象にするといった手法が開発された。また金融資産凍結令は金本位制の時代にはイギリスあるいはアメリカにとって敵性国家の外国為替決裁用資産を没収する強力な外交手段であった。

経済制裁そのものは強制外交手段のひとつであり、武力使用(交戦)による強制外交と同様に外交上の敵対行為と見なされる。(以上は、ウィキペディアの資料です。)

 

学校時代には、日本の明治以来の歴史というものは習わなかった。教わったのは、日本は悪い国なのだということのみでした。

 

経済封鎖されると、資源がない日本はどうにもならなくなる。殊に石油が入ってこないということになると、独立国としての立場を守るための航空機と戦艦は7年で動かすことができなくなり、その結果は欧米列強の植民地になるしかないという国際状況下にあったのだということもわかってくる。

植民地が如何に悲惨なものであったかは、調べればすぐわかります。(日本が他国を植民地支配したとも喧伝されるが、これも調べてみれば白人支配の植民地とは全く違うことがすぐわかる。)

 

日本の戦前及び戦中が良かったという心算は全くありませんが、一方的に見せられたもの或いは教えこまれたものと、その時代背景も含めた事実関係は、良いも悪いも合わせ、知れば知るほど違ったものにみえてきます。

反省すべき点も含め、それらを知ることによって、強制されるのではなく自分で判断してみることも必要な時期にあるのかも知れません。

 

 

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