この度の出雲での慶事に際し、出雲の土産店に沢山の勾玉が並んだのだとか。
三種の神器というのはよく言われますが、それが何であるのか知る人は少ない。
それはそうでしょう。神器の継承者でおわす天皇陛下と雖も、目にされたことがないのだと漏れ伝わるくらいなのですから。
八咫鏡・八尺瓊勾玉・草那芸之大刀の三つの神器のことをいいます。
八咫鏡(やたのかがみ)
記紀神話によると、天照大神が天岩戸に隠れた「岩戸隠れ」の際、石凝姥命が作ったという鏡。
天照大神が、高天原で賑やかにしている神々を、岩戸を細く開けてみた時、この鏡で天照大神自身を映して外に引き出し、光を失っていた世界が再び明るくなったという神話で知られる鏡であります。
後に鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。
(咫というのは大きさの単位。熊野大社には八咫烏というのが飾られています。)
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
八坂瓊曲玉とも書く。大きな翡翠の玉で作った勾玉であり、一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。「岩戸隠れ」の際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木の枝にに掛けられたのだという。
翡翠は、糸魚川の奥に翡翠の谷というのがあって、日本ではここでしか良質の翡翠は採れない。
勾玉は、3世紀ころ以降は作られなくなったのだといいますが、一体何に使うものだったのでしょうか?
単なる装身具というわけではなさそうです。
産出地が遠方であったことでいえば、矢の根石と呼ばれ鏃に加工された黒曜石の産出地も、日本では諏訪地方のみなのだといいますが、鏃は日本全国で発掘されます。
草那芸之大刀(くさなぎのたち)
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも言われるが、古事記では草那芸之大刀と記される。
記紀神話では素戔嗚尊が出雲・簸川上(ひのかわかみ、現島根県安来地方の奥出雲町)で退治した八岐大蛇の尾から出てきた剣。
後、日本武尊が譲り受け、遠征中に周りを火で囲まれたとき、自らの周りの草を薙ぎ、火打石で草を焼いて逆に火で対抗したとき帯刀していたことから、予定調和の剣とされる。「焼津」の地名はこのとき草を焼いたことによる。
神話の話をする人は殆どいませんが、謎の竹内文書など、壮大な神話が何の根拠もなくできたともおもえません。
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