2014年12月26日金曜日

驚くほど西洋の事情に通じていたという


明治時代に脱亜論というのがあります。

福沢諭吉が書いたとされていますが、脱亜とは言っても入欧とは言っていないようです。

 

李氏朝鮮は、1割にも満たないヤンバン(両班)が君臨していて国の体をなさないほど疲弊し、6割を超える奴婢(奴は男の、婢は女の奴隷)と数少ない中人で構成されていたようです。

国民の殆どが文盲であったといわれます。

 

中人の中に王玉金などがいて、国の近代化を図ろうと働いているのを、福沢なども応援していたのだといいますが、一分ヤンバンなどの利権のためにならないということで、王玉金は暗殺されてしまいました。

協力して南下する外敵にあたろうと考えていた福沢が、これに絶望して唱えた論だといいます。


 

鎖国されていた江戸時代に、どのように外国の事情を知ることができたのか判りませんが、吉田松陰にしても、その後に続く志士たちにしても、驚くほど世界の情勢に通じていたようです。

我が国は百姓町人に至るまで、文盲率が低かったといいますから、むべなるかなではあります。

 

 

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