2015年3月31日火曜日

二股膏薬と蝙蝠


「鳥なき島の蝙蝠」

鳥がいないところでは、羽があってただ飛べるということから、俺は鳥だといってコウモリが偉そうにする。ある分野に関して、本当に優れた人がいないところでは、ちょっとその分野に知識があるだけで、その道の権威者然とすることの喩えに使われる。

基礎研究も、独自に開発した大した工業技術もないのに威張っていると、そう呼ばれる。

 

昔、鳥の種族と獣の種族が互いに争っていた。それを見ていた蝙蝠は、鳥の種族が優勢になると、「私は鳥の仲間です。あなたたちと同じように翼を持っています」と言い、獣の種族が優勢になると、「私は獣の仲間です。鼬のように毛皮と牙があります」と言った。

その後、鳥と獣の争いが終わり和解したが、幾度もの寝返りをしたコウモリはどちらの種族からも嫌われてしまい、やがて暗い洞窟の中へ身を顰めるほかなくなった。

 

別な言い方では二股膏薬とも評され、どっちつかずの生き方は信用されない。

 

清の属国であった李王朝の最後の王妃であった閔妃は、親日的な政策から次第に清に頼る事大主義に路線変更していった。そのような状況を見た開化派の金玉金らは、閔妃を追放しない限り、朝鮮の近代化は実現しないとして甲申政変を起こし、それにより一時期政権を奪われるが、袁世凱率いる清軍の力によって政権を取り戻した。

その後ロシアの南下政策を警戒するイギリスなどを牽制するために親露政策もとり始めるが、東学党の乱が起きると清軍と日本軍の介入を招き、日清戦争の原因となった

自国からは一兵もださなかったのに日本軍のお蔭で清から独立できたのに、国ではなく自分の利益ばかり考え、その後も蝙蝠外交を繰り返した。

 

 

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