2019年6月13日木曜日

ソ連は日本の領土を欲しがった


日本は、北方領土その他を占領されたが、大きく分割されることなく済んだのは、東南アジア諸国のお陰でもある。
大東亜戦争敗戦後の1951年サンフランシスコ講和会議において戦勝国である連合軍は、日本に対して厳しい賠償と制裁措置を求めました。
領土を分割占領しようとした最右翼は、ソ連であった。
その中で出た日本の分割統治計画とは、第二次世界大戦において、ドイツが降伏後米・英・ソ・仏4カ国に分割統治されたように、本土決戦後の日本も北海道・本州・九州・四国を連合国それぞれが統治しようとした計画であった。
ソ連(赤)  :北海道/東北
アメリカ(青):関東/中部/関西/沖縄
中国(茶)  :四国
イギリス(緑):中国(地方)/九州
米英中ソ   :東京
米中     :大阪
この計画が廃案となった理由にはいくつかの説がありますが、当時のセイロン(現スリランカ)の代表JR・ジャヤワルダナの感動的な国連演説が、分割統治から日本を救ったと言われています。それがなかったらどうなっていたかわからない。
この国連演説が、当時日本に厳しい制裁措置を加えようとしていた諸外国代表の心を打ち、当時日本に厳しい制裁措置を加えようとしていたソ連による反対を押しきり、日本の国際復帰への道につながったのだといわれている。
サンフランシスコ講和条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカでした。
東南アジア諸国は、日本が戦ったことで人種差別から脱却する素地ができたことや、長い植民地支配から独立できたことを多としてくれた。

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