2019年6月28日金曜日

国扱いされていなかったのでは?


朝鮮の王というのは、いわゆる独立国の王というわけではなく、中国の県知事くらいの意味合いでしかなかった。
権知高麗国事(ごんちこうらいこくじ)というのが、宗主国である明が李氏朝鮮初代の国王に授けた称号である。高麗王代理、あるいは高麗国知事代理を意味する。
「権」というのは、別の言い方をすれば「仮の」ということである。
独立国の王として認めたわけではない。
李氏朝鮮の初代国王李成桂は反乱により、明が冊封した高麗王を廃位して高麗王位を簒奪した後、新たに王としての地位を認めさせようとしたが、国名すら勝手に名乗ることはできなかった。
2000年の長きにわたって、中国の属国以下の扱いであったから、主権だとか公共意識だとか国家としての意識が国民に育つことはなかった。
国を持てなかったということは哀しいことである。
属国であることの悲しさ、李成桂政権は「朝鮮」(朝の静けさの国)と「和寧」(平和の国)の二つの候補を準備して洪武帝に国名を選んでもらうしかなかった。
だが明では、明が冊封した高麗王を身勝手にも廃位して別の王を即位させたり、最後には勝手に自らが王に即位した李成桂を快く思わなかったらしく、李成桂を最後まで朝鮮王としては冊封しなかった。
明から朝鮮国王として正式に冊封されたのは、第3代国王である太宗になってからであった。
国王であればその称号は陛下ということになるが、独立国ではないからそれは許されず、朝鮮ドラマを見た人はご存知だと思うがチョナー(殿下)と呼ぶのが限度であった。
宮廷でマンセイ(万歳)を叫ぶ場面もドラマでよく目にするが、万歳すら許されておらず、そんなことをすれば中国から厳しく叱られた。「千歳」としか言えなかったのだという。
朝鮮王は、中国からの使臣より下の身分で会った。
独立国たらんとする気概を見せなかったのだから仕方がない。行政の一地方でしかなかったというのが、曲げようもない真の歴史ということになる。
歴史を学ばなくてはならないのは、自分たちである。

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