2019年6月25日火曜日

植民地で何をしたか


日本のアジア「侵略」を、自分たちがやったことには頬被りして批判しまくってきた欧米諸国であるが、その日本が「侵略」する前のアジア諸国はどういう状況だったのか。
それをまともに反省できた国があるとは思えない。

米国はフィリピン人に「スペインの植民地支配を終わらせる」と嘘を言ってマニラに進出し、スペインに代わってフィリピンを植民地にした。
話が違うと抵抗するフィリピン人を米軍は徹底的に殺しまくった。米上院公聴会では、殺した島民数を20万人と報告されている。

インドは昔から木綿産業が盛んであったが、産業革命が起った後には、イギリスのマンチェスターから木綿が圧倒的に安い値段で入ってくるようになった。
インドで木綿を作って生活している何百万人という人たちが、これにより生活できなくなった。
通常の独立国だったら、国は農民を保護するために輸入制限をしたり、関税をかける。
しかし、輸入を拒否したくてもできないのが植民地なのである。その上、イギリス政府は木綿を作りにくくするために、木綿の作り手たちを何万人も集めて、残酷にもその手首を切り落としたのである。
インドの木綿工はそのまま仕事ができなくなって餓死してしまった。ベンガルからインド洋まで、何百万人という白骨が並んだと伝えられている。これを白骨街道と呼ぶ。

太平洋には2万にも及ぶ島々があったが、原住民は何の防備もせず平和に暮らしていたところに、海から白人海賊たちが鉄砲と十字架を担いでやってきて、片っ端から襲いかかり殺戮と掠奪を繰り返していった。
無主物先取特権だとばかり、自分たちの土地にしてしまった。
「誰も住んでいなかったので、早い者勝ちで自分のものにしたのだ。何が悪いか」という言い分である。
現に先住民が住んでいたはずだが、彼らにしてみれば白人以外は人間ではなく、猿やけだものと等しい存在と見なして平気だった。 

帝国主義や植民地主義には、きちんとした論理が通っている。
「お前たちは劣等な民族である。劣等な民族は自ら自分の国を治められない。そのままにしておいたら、殺し合いや伝染病がはびこり、飢餓で死ぬ人も出てくるだろう。だから、劣等な民族のために優等な民族であるイギリス人が統治してやる」まことに身勝手な理屈で会った。

オランダのインドネシアに行った植民地政策は、愚民政策・貧民政策だった。そのため貧困にあえぐインドネシア人の平均寿命は、35才にまで低下したといわれる。
植民地時代のインドネシア原住民とオランダ人の所得比は、1:13,000 だった。そうやってオランダの隷属下に置かれていた。
オランダの植民地支配の残酷さもまた際立っている。
蚊に刺されて化膿し、血や膿を全身に流して働く現地人に、薬ひとつ与えなかった。
性病が蔓延して、街ゆく男たちの鼻骨が露出しているのは珍しくなかったが、衛生教育ひとつ行わなかった。(オランダ人だけは完璧に衛生的な環境で生活していた)
そのため、日本軍が進軍してきたとき、地鳴りがするような歓迎のどよめきが沸き起こったのだという。
日本軍は、植民地支配をしていた白人国と戦ったのであって、敵軍に組み込まれてしまっていた場合は仕方ないけれど、原住民と戦うことは基本的になかった。

植民地の反乱を宗主国は武力で鎮圧した。
フランスは、サイゴンでの容疑者は裁判なしでギロチンにかけた。一方で阿片を売り、10歳以上の子供をホンゲイ炭鉱で働かせて人頭税を徴収した。
仏印では、税が払えないと政治犯として監獄に放り込んだ。鎖でつながれた囚人には、老人や子供が多かった。働きの悪い者は処分しちまえというフランス人の思いが覗き見える。獄死すれば葬式税も取れる、ということであった。
だから、フランスは都市の数ほど監獄をつくり、それでも足りないからとサイゴン南の島コンダオに4つの監獄と拷問棟「虎の檻」を建てた。
ここには屋根がなく、鉄格子越しに生石灰と水を素っ裸の囚人の上に撒いた。囚人はやけどを負い、さらに熱帯の太陽に焙られた。

他の西欧植民地支配国も、アジアや南米やアフリカにおいてやったことは同様である。

帝国主義が「本当にいけないこと」として認知されたのは、第二次大戦が終わってからのことに過ぎない。日本が戦ったことで、白人には敵わないと思っていた意識が変わり、独立を果たす原動力となった。
それでも往生際悪くイギリスやフランスやオランダは、第二次大戦後もしばらく、何とか植民地を維持しようと無駄な努力を重ねたが、もはやそれは叶わなかったというのが歴史である。

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