2019年6月18日火曜日

化外地扱いだった台湾


大東亜戦争以前の戦争を現在の価値観で論じてみても始まらない。
その当時の世界は、紛争が起これば戦争によっての決着を計り、強い方が勝つということで回っていたのであり、それが世界の常識であったのだから仕方がない。
近隣諸国との戦争でいえば、イギリスとフランス、フランスとドイツなどがそのいい例で、しょっちゅう戦っていた。
日本と中国、日本と朝鮮ということで比べれば、こちらは数としては圧倒的に少ない。

日清戦争は、自衛戦争でもなく、侵略戦争でもなく、当時の常識にそった「普通の戦争」だった。今では考えられないが、当時は「強い国が弱い国を占領するのは当然のことであり、特に強い国の隣にある弱い国は、普通は占領されるか、支配される」と決まっていた。 
強い国や大きな国の周辺には「小国だったり、国ではない地帯だったり」が多く、それが緩衝地域になって戦争になるのを防いでいたという意味もあった。

中国の周辺では現在の新疆ウィグルのように中国に強い政権ができると中国領、弱くなると独立するということをくり返している地域もあれば、台湾のように中国が「化外地」という名前で呼ぶことで「自分の国ではないが、すぐ外の野蛮な国」ということにして、兵を置いていただけのところもあった。日清戦争の後に日本領となったのであって、中国領であったというわけではない。

今、香港が大規模なデモで揺れているが、香港はそもそも中国領であったとしても、台湾は全く違うのである。
ウラル山脈以西はヨーロッパ、以東はアジアという大まかな区分けはあったが、ロシアが進出したシベリアなどは「あまり人の住んでいない地域」だった。
ロシアは不凍港の確保を目指し、大陸を横切ってウラジオストックに港を開いたが、それでは満足せず満州を侵して旅順に軍港を開いた。
満州は、韓民族ではない清国の母体となっている地域であるが、清はロシアの満州侵略に対し何の抵抗もしなかった。
次にロシアが狙ったのは朝鮮半島の釜山であった。朝鮮も抵抗できない。
中国も朝鮮もあてにならないから、日本の安全保障を考えたとき、それを日本は看過するわけにはいかなかった。

中国と朝鮮は、鎖国したままで近代化から大きく取り残され、列強の侵略に対抗する術はなかったというのが歴史事実である。
日本は独立を賭けて命がけで戦ったのである。

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