2019年6月9日日曜日

関係改善が進まない


列強による中国侵略 は、1899年ころまでに、ロシアは東北地方、ドイツは山東半島、イギリスは長江流域、フランスは華南の両広(広東・広西)地方、日本は台湾の対岸にあたる福建地方というように、勢力範囲がほぼ定まっていた。
中国への進出に出遅れた米国は、何かにつけて日本叩きに走ったという側面があることは否めまい。
中国共産党指導者の毛沢東や周恩来は、かつて日本の侵略に感謝し、日本側からの巨額な戦争賠償を放棄したことを通して、日中戦争中、中国共産党が日本軍と共謀し、 国民党の抗戦を妨害した実態を改めて浮き彫りにした。
中国は、独立戦争を意図したのだとは思えないが、結果的には第二次大戦後そうなった。

1961124日、毛沢東は日本社会党所属国会議員の黒田寿男氏と会見した。毛は1956年に日本の日中輸出入組合理事長の南郷三郎氏との会談に触れて、「日本の南郷三郎氏は私と顔を合わせた途端、『日本が中国を侵略したので、お詫びを申し上げなければならない』と話したが、しかし私は彼に、『われわれはそうは思わない。日本の軍閥が過去において中国の大半の土地を占領した。このため、中国国民は教育を受けることができた。そうでなければ、……われわれは今まだ山の中にいて、北京で京劇を見ることさえできなかった。……だから日本の資本壟断と軍閥はわれわれに好いことをした。感謝が必要であれば、むしろわれわれが日本軍閥に感謝しなければならない』と答えたのだ」と話した。
 (出典:中国共産党中央文献研究室編『毛沢東文集第8巻』、「日本人民斗争的影响是很深的(日本語:日本人民闘争の影響は非常に深遠である)」人民出版社、1999年)

日本を批判するようになったのは、江沢民氏以降の政権からではないのか?国内政治に問題があったのか、外に敵を作る必要があったのだとしか思えない。
以来、日本側が誠意を尽くしても、ギクシャクした関係が改善できないようになっている。

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