2019年6月6日木曜日

在りうるのでは


気づくということは、「在る」ということの形をかえた意味を知ること。
そんな馬鹿な、と一笑に付して見過ごしてしまっていることに意味があるとしたら、それによって失ってしまっている機会は有りうる。
自分が表層的に得た知識の奥に存在する意味に、意識を向けてみることが大切なのではなかろうか。
 下北沢の踏み切り地蔵の近くで工事をしているところで見かけたガードマンに、この踏切では地蔵尊を安置してから事故が1件もないのだと話をしたところ
「そうい言えば、ここからも見える次の踏み切りの遮断機のポールは、この半年で30数本折られたが、ここの踏切では1件もないのが不思議だと、仲間で話題になっているのです。」とのことであった。
その場所にお地蔵様が設置された経緯を知っている人は殆どいなくなった。

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