2019年11月26日火曜日

半導体製造争い


半導体の製造販売シェアが高いということで韓国の鼻息は荒かったが、それも翳りを見せてきている。そればかりに頼っていると、行き詰ることはあり得る。
思い起こせば1980年代半ば、日本の半導体は世界を席巻し全盛期にあった。技術力だけでなく、売上高においてもアメリカを抜いてトップに躍り出て、世界シェアの50%を超えたこともある。特にDRAMDynamic Random Access Memory)(ディーラム)は日本の得意分野で、廉価でもあったから、競争力は世界的にも手が付けられないほど圧倒的であった。
それに対してアメリカは通商法301条に基づく提訴や反ダンピング訴訟などを起こして、70年代末から日本の半導体産業政策を抑え込もうとして批判し続けた。
「日本半導体のアメリカ進出は、アメリカのハイテク産業あるいは防衛産業の基礎を脅かすという安全保障上の問題がある」というのが、アメリカの対日批判の論拠の一つであった。
日米安保条約で結ばれた「同盟国」であるはずの日本に対してさえ、「アメリカにとっての防衛産業の基礎を脅かすという安全保障上の問題がある」として、激しい批判を繰り広げたのである。
こうして19867月に結ばれたのが「日米半導体協定」(第一次協定)だった。
「日本政府は日本国内のユーザーに対して外国製(実際上は米国製)半導体の活用を奨励すること」など、アメリカに有利になる内容が盛り込まれ、日本を徹底して監視した。
19874月になると、当時のレーガン大統領は「日本の第三国向け輸出のダンピング」および「日本市場でのアメリカ製半導体のシェアが拡大していない」ことを理由として、日本のパソコンやカラーテレビなどのハイテク製品に高関税(100%)をかけて圧力を強めた。
19917月に第一次協定が満期になると、アメリカは同年8月に第二次「日米半導体協定」を強要して、日本国内で生産する半導体規格をアメリカの規格に合わせることや日本市場でのアメリカ半導体のシェアを20%まで引き上げることを要求した。
19977月に第二次協定が満期になる頃には、日本の半導体の勢いが完全に失われたのを確認すると、ようやく日米半導体協定の失効を認めたのである。
現在における米国によるファーウエイ排除戦略は、それを彷彿させる。
米国の戦略的政策によって日本の半導体生産は後退せざるを得なかったのであり、韓国が日本の間隙を縫って半導体シェアを伸ばしたのだという側面がある。それを理解することもなくいい気になっていると足元を掬われる結果になるのは容易に推測される。
そうはいうものの、半導体の供給は過剰気味となり、価格の下落や在庫余りが指摘されるようになって、それが韓国経済の下落傾向の一因でもあろうから、韓国も安閑としてはいられない。
それに加え、半導体生産は台湾・米国・中国に脅かされる状況になっているから、熾烈な価格競争に巻き込まれることは必至であろうから、ますます先行きは厳しいだろう。
他人事ながら、それが国の経済に占める割合が大きい韓国は、一体どうなってしまうのだろう?
日本に擦り寄って泣き言を言ってきても、日本の対応は従前のように甘くはなさそうである。

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