2019年11月28日木曜日

民の平和が根本にあった


皇位の継承に関連して、3種の神器というのが度々でてくる。
天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊(やさかりのまがたま)のことであるが、天皇家に伝わる神宝だというくらいの認識だけで、それが何を象徴するものなのかについては余り知られていない。
」は「知」、「勾玉」は「仁」、「は「勇」というように、三種の神器は三徳表すという解釈もあるようだが、平和という概念抜きには考えられない。
鏡は、ありのままを映し出すということから「真」を象徴する。嘘・偽りのないことが、日本人の心情にマッチした。
勾玉の「玉」というのは、丸いということから、円満・真心・愛情を表す。
剣は、言わずもがな、正義をつくす力。これらが千数百年の昔から、国の根幹をなすのだと考えられていた。
加えて、日本には聖徳太子の時代の昔から、17条の憲法というのがあった。
第1条 輪を以って貴しと為し忤ふことなきを宗と為す
「わをもってたうとしとなしさがふことなきをむねとなす……。」
というのは余りにも有名で、日本国民の誰もが知っている。
訳文「和を大切にし人といさかいをせぬようにせよ。人にはそれぞれつきあいというものがあるが、この世に理想的な人格者というのは少ないものだ。それゆえ、とかく君主や父に従わなかったり、身近の人々と仲たがいを起こしたりする。しかし、上司と下僚がにこやかに仲むつまじく論じ合えれば、おのずから事は筋道にかない、どんな事でも成就するであろう。」

第11条 明らかに功過を察して賞罰必ず当てよ
「あきらかにこうかをさっしてしょうばつかならずあてよ……。」
訳文「官人の功績や過失をはっきりとみて、それにかなった賞罰を行うようにせよ。近ごろは、功績によらず賞を与えたり、罪がないのに罰を加えたりしていることがある。政務にたずさわる群卿は、賞罰を正しくはっきりと行うようにすべきである。」
これは、民を人として認識し人として扱っていたのだということを意味している。
どっかの国のように、貴族階級以外は人を人とも思わず、家畜同然に扱っていたのと全く違う。
彼らが民を人として扱わなかった証拠としては、凌遅刑(りょうちけい)というのがあることで判る。
これは清の時代までの中国や、李氏朝鮮の時代までの朝鮮半島で処された処刑の方法のひとつである。生きている人間の肉体を少しずつ剥ぎ取り、長時間にわたり激しい苦痛を与えて死に至らす処刑方法である。宮廷ドラマでよく目にする縛り上げた体に棒を差し込んで手足の骨を砕くという拷問も恒常的になされた。愚かな民への見せしめのためであったとされるが、楽しみでもあったようにさえ感じられる。
定かではないが、第二次世界大戦の終了により半島経由で帰国しようとしたが逃げ遅れて捕らえられ、残虐な仕打ちにより死に至る災禍を被った日本人がかなりいたという噂も聞く。
日本統治時代には厳禁されていたこれらの行為は、タガが外れれば一気に元に戻ってしまったということなのだろうか?血に染みついた慣習というものは恐ろしい。
それに比べ、日本人の根幹に受け継がれてきたものは素晴らしい。日本人に生まれて良かった。

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