2019年11月7日木曜日

民主主義でも決まらないけれど


民主主義には直接民主主義と間接民主主義があるが、多くの経験を経て世界の国々は間接民主主義を採っている。
直接民主制は有権者が直接、政治に関わるものであることから『有権者数=議員数』となる。
簡単に言えば、『現在国会や地方議会で議論されていることを有権者全体で話し合い、評決を行う』ということである。それでは如何に時間を費やそうとも全員が満足する結論は出ない。
多数決で決しても、それに不満を持つ人は、いつまで経っても反対を唱える。
イギリスのように重要と思われる事項について国民投票を行って、部分的に直接民主主義を取り入れている国はあるが、一定の結論が出ても纏まることがない。

大統領制の国を『直接民主制の国』というのは明らかなる勘違いである。
改めて言うまでもなく、アメリカの大統領や日本の地方自治体の首長を選ぶのは『直接民主制』ではなく『直接選挙』である。
『直接選挙』でも結局は選ばれた首長が有権者に変わって政治を行うわけだが、この場合には人気投票的な要素やその時の政治状況などによって、思わぬ結果が出るということがありうる。
ここにポピュリズム(大衆迎合)の危険性をはらむことは、どうしてもついて回る。
そのことが、国民投票でも直接選挙による選出にしても、『短期間に国民の意見を直接、問う』というのは危険な要素を持ってしまうことは間違いない。
国民投票によらねばならない問題は当然ありうるが、その場合は事前に十分な時間をかけて、
国民が判断できる材料をあげて議論を尽くし意見が熟成している必要がある。
そうでないと、思惑含みのマスコミや声の大きい識者?の巧みな誘導に乗って、如何に賢明な国民であっても偏った方向に流される危険性があるからである。
もうかなり懲りている筈であるが、それでも普段頻繁に顔を出す人の主張を耳にすることで、引きずり込まれてしまう人がどうしても出てくる。
公平な意見の場が設けられて、等しくそれが広められなければ、直接民主主義には危険が伴うことは事実であろう。自分の主張を叫ぶだけで、審議すらしないなどというのは論外ということになる。

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