今では誰も疑わない歴史的事実として、北朝鮮による日本人をはじめとした外国人拉致事件というのがある。
しかしかつては、拉致など存在しないと多くの知識人や報道人が言い張り、それが大勢だった。更には日本では、北朝鮮についてのマイナス情報が報じられるたびに、それに反論するかのように、北朝鮮は素晴らしいとする報道がなされた。
1970年代から1980年代にかけて北朝鮮の工作によって多数の日本人が日本から北朝鮮に拉致されたのは、北朝鮮という国家が日本という国家に仕掛けた最大の犯罪行為である。
何の落ち度もない日本人の男女が、彼らに不法に誘拐され、自分の人生を失った。
この歴史的事実に対する日本のマスコミの報道は、ほんの一部の例外を除いて、ジャーナリズムの名に値しないひどいものであったと言えよう。
朝日新聞の東京社会部長が書いた「読者と朝日新聞」という記事(1982年9月19日付朝刊)は日本新聞史上最低の記事であったと言われている。他にも朝日新聞やTBSなどの一部「突出」したマスコミの報道は、報道の名に値しない情報操作かつ洗脳行為であったといえるのではなかろうか。
そもそも外国などが密かに仕掛けてきた謀略行為は、マスコミの調査・報道によって明らかになり、それを糾弾する国民の世論も高まることで、政府がそれを受けて公式に抗議する、というのが民主主義国家におけるプロセスである。
国家の抗議が最後になるのは、政府も外務省も確たる証拠がなければ動けないからであるが、マスコミはもっと早く身軽に動ける。しかし、歩調を合わせたように、日本のマスコミはそれをしなかった。感づいていなかったわけはない。公安は密かに情報を得ていたのだと思えるからである。
この拉致問題に関して、「北朝鮮の犯行」を正式に認めさせたのは「マスコミの報道」ではなく「政府の行動」であった。
2002年9月17日、北朝鮮の首都ピョンヤンを訪れた小泉純一郎首相(当時)は当時北朝鮮のトップであった金正日国防委員会委員長に直談判し、「北朝鮮は日本人を拉致していた」と正式に認めさせ、数人とはいえ救助できたのである。
報道しない自由というのが度を越していないだろうか?
マスコミがいま女性蔑視報道に熱心な姿勢を見せているのと同じくらいにやっていたら、結果は変わっていたかもしれない。さらに付け加えれば、今、女性蔑視運動に声を挙げている人たちのうちの何人が拉致被害解決を叫んだかということになると、甚だ心もとない。因みに、男性蔑視だって反対せずばなるまいに、それは皆無である。
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