ミャンマーでクーデターが起こったというが、国際社会では予想されていたことであるらしく、さして驚かれてはいないのどという。
そうは言っても、この先に影響が出てくることは避けられないのではなかろうか。中国の影響力が強まることも危惧される。
ビルマ国は、1943年(昭和18年)8月1日から1945年(昭和20年)3月27日にかけて、日本占領時期のビルマ(現ミャンマー)に存在した国家である。西洋と東洋の中間に位置する要衝ということで、イギリスの植民地支配を受けてグチャグチャにされた経験があるから、国民は西欧諸国が基本的に嫌いであるとされる。
1941年(昭和16年)12月26日、アウンサン率いるビルマ独立義勇軍が建軍され、日本軍と共にイギリス統治下のビルマに進軍(ビルマ戦役)、翌1943年4月にはイギリス軍を駆逐して刑務所に収監されていたバー・モウが解放された。
日本の支援を受けて独立する形で誕生したが、日本の傀儡政権とする見方もある。
いろいろあってミャンマーとなったが、第二次大戦後は日本との関りが薄れた。
アウンサンスーチー 氏は、1945年ビルマ、ラングーン生まれ。「建国の父」の娘として伝説的ですらあった彼女がビルマに戻っていることを知った民衆は、民主化運動への合流をアウンサンスーチーに要請、8月26日シュエダゴンパゴタで約50万人の民衆を前に初めて政治的な演説を行う。9月27日、「国民民主連盟」(National
League for Democracy)を結成。90年5月総選挙でNLDは80%を越える議席を獲得したが、家族が外国籍である者は首長になれないとする憲法があって、実質的にはトップであっても制限されることが多かった。
政権につくことができる以前は、軍事政権により移動や外部との接触禁止など実質的軟禁状態となったというが、実際には豪邸に住んで優雅なものだったともいわれる。復帰したが、民主主義の象徴として国際的に称賛されたアウンサンスーチー氏は、ロヒンギャに対する軍事作戦が始まる前の2016年4月から、最高顧問としてミャンマーの実質的な指導者をつとめている。軍に対する直接の権限はもたない。
しかし国連によるロヒンギャへのジェノサイド調査団は、アウンサンスーチー氏が掃討作戦に「共謀していた」とみている。
ロヒンギャの幼い姉妹が必死になって難民キャンプに辿り着いて治療を受けている画像は、涙なしには見られない。
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