織田信長は六天魔王と呼ばれ、残虐非道な武将として語られることが多いが、本当にそうだったのだろうか?
もしそうだったとしたら、多くの武将を従えて天下統一なぞ図れなかったと思える。
桶狭間の戦いに臨み、天下の警察たる弾正家の誇りの為に大義を通そうとして、今川義元に挑む出陣前に舞ったという敦盛は、信長の心中にある敦盛への共感を表わしたものであり、強敵の前に死をも覚悟したのだと思う。それを見た家臣団が奮い立たないわけがない。
敦盛は、平家棟梁である清盛の弟の経盛の末子。
平家一門が皆、官職に就いていく中、一人無官であったために無官太夫と呼ばれていた。
敦盛は笛の名手で、祖父忠盛が鳥羽天皇からもらった笛を父・経盛を経て与えられ、それを譲り受けていた。
源義経の奇策「鵯越えの逆落とし」で平家は混乱に陥り逃げ惑っていたとき、40歳を超えていた熊谷直実であったが、まだまだ血気盛んで良き敵を探していた。
見ると1騎の武者が馬を海に入れ、沖の船に向けて泳いでいた。
その武者のいでたちは、鶴の刺繍がされている衣と萌黄の鎧を着て、金色の太刀を持ち、灰色に円い斑点が付いて銭を連ねた様な模様の連銭葦毛の馬にまたがっていた。
直実は叫んだ。「よき大将軍と思われる。卑怯にも敵に背を向けるか!返せ、戻せ!」の声に応じて、敵わぬ敵将と知りながら引き返してきた武者を波打ち際で取り押さえた。
首を切ろうと兜を脱がすと、薄化粧をし、お歯黒をした我が子と同じ16、7歳ほどの美少年だった。
「あなたはどのようなお方だ!名乗りたまえ!助けてやる。」と直実。
「まずそなたから名乗れ!」
「まだまだ知られてはいないが、武蔵国の熊谷直実と申す!」
「あなたにとって良い敵だ。名乗らなくても首を取って人に尋ねてみよ!さあ、首を取れ!」
「あっぱれな大将軍!あなたを打ち取ったとしてもこの戦の勝敗が変わるわけでもない。この戦いで我が子が傷を負い、私はとても悲しかった。あなたの父が、あなたが討たれたと知ればさぞ悲しむことでしょう。お助けします。」
しかし、後ろを振り向くと50騎ほどの味方の軍勢が近づいてきている。
「ああ見て下され。お助けしたいのですが私の味方の軍勢が迫ってきています。もはやお助けすることは叶いません。せめて私が手をかけ、後世を弔い仕ります。」として直実は武者の首を手にかけた。
その場を立ち去ろうとしたとき、錦の袋に入れられた『笛』を見つけた。
笛は、若武者こと平敦盛の父・経盛の元へ送られた。
「天下布武」というのも、武力をもって天下を制圧するという意味で使われるが、「武」は「たける」と読む。竹のようにまっすぐにただすということである。その理想を前面に打ち立てたから、武士たちは共感して従ったのだと思う。
今の世界は利を中心にし過ぎているように思えてならない。
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