2021年4月24日土曜日

人智を越えたものにはおまじない

 

おまじないというのがある。人智を越えたところにあるものには神に願うしかない。

呪というのは元々「祝」と同様に、祭壇の前で神に祈りを捧げるという意味で用いられたものだといわれる。「おまじない」なら良いが「のろい」となると扱いが違ってくる。

「兄」という字は兄弟の兄ではなく、頭の大きい人を表しているのだという。
兄は祭壇の前で祈りをささげる頭の大きい人、すなわち神主あるいは祭主を意味していることになる。口偏は、人が神前で祈りを唱えている状況。
幸いを祈る場合には、「祝」を用いるが、この場合の「ネ」は祭壇などを表している。「示」は、お供え物をのせる三宝を意味したり、神を祀る場所そのものを意味する。祭壇に跪く姿を「祝」とし、口から発せられる祝詞そのものが「呪」と考えられる。
それがいつの間にか「呪」は敵に打ち勝つための言葉と変わり、やがて人を傷つける言葉「呪」となって分離されていった。「祝」は良いことを「呪」は悪いことを祈るといったように使い分けられるようになったということになる。

子供の頃の「おまじない」といえば、物事がいいほうに運ぶためのものであった。

口に出すと、その言葉はエネルギーを持っていて独り歩きすることがあるようです。

それだけに言葉には気を付けなければならない。「人を呪わば穴二つ」といわれるように、それは必ず自分に返ってくる。

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