2016年1月13日水曜日

知っているくらいのことはある方が良いとおもう歴史

「人様に迷惑をかけないようにしなさい。」「きちんと挨拶をしなさい。」「お世話になったら、ちゃんとお礼を言いなさい。」「年長者は敬いなさい。」「お天道様が見てるんだから、ウソはつくんじゃないよ。」
幼かった頃、どこの親も、周りの大人が言うことも、大抵は同じであった。
昨日今日そう言うようになったのではなく、ずっと長きにわたり続いてきた躾けであったと思う。

戦後、中韓が言う歴史カードというものに対して、学校でも全部日本が悪かったと教わっていたから、そうなのかとも思い、人間の本性が一時的とはいえ、普段接する大人たちを見ていてそんなに急激に変わるものなのか、そんなに悪いことをしたのかと不思議に思っていた。

敗戦したことで、生き延びる為にそう教えられ、それ以外を知らされるることなく過ぎてしまったことは、ある意味でやむを得なかったことなのかとも思う。
それによって発展したことも事実ではあろう。結果が悪いことばかりではなかった。
しかし、それらの発展は、戦後の教育によるばかりのことではなく、驚異的ともいわれる復活は、本来持っていた勤勉さであったり、蓄えられてきた技術力であったり、長く積み重なってきた文化の礎があったことも否定できまい。

日本自身が否定してしまった大東亜戦争について、海外では違う見方をしている方が沢山いることを知る日本人は少ないのではなかろうか。私自身もそうであった。
彼らは、実に冷静な見方をしているように思えてならない。
だからといって、今更どうこうしようというわけではないにしても、我々が知らされていないことを述べている方が、どのように言っていたかという事実くらいは、知っておく必要を感じます。

大東亜戦争の真実(海外の声)

神風はなぜ世界で尊敬されるのか


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