2016年1月15日金曜日

拒否反応を起こされてしまう意見の出し方

相手の言っていることを聞いて、意見を擦り合わせることは難しい。
自らの信ずることを主張するのは良いにしても、相手の信ずることを一方的に拒否して聞く耳を持たないというのも困る。自分だけが正しいというのは、殆どの場合ない。

全体像をつかみ、そのなかから双方が「なるほどそうだ」と納得できる案を、議論をつくして構築するというのは難しいにしても、感情的に先鋭化した言葉で一つの事象のみを取り上げているのでは、全体バランスがとれまい。
しかしながら、それを調整できる知恵は残念ながらまだない。便宜的には多数決ももって決めざるを得ない。それでも、何をもって多数とし、何をもって代表的な意見とするか?
大声を上げると目立つから、そうする人も多い。

卑近な例では、SEALDsが「戦争法案」と決めつけ、学生の代表のようにいって、ただただ反対と叫び、それにマスコミも同調していたようだが、最近目にする記事では、殆どの学生が相手にもしていない団体だったということがわかる。
意見そのものは否定しないが、代表だと名乗るなら、その根拠は要る。

大多数を目指すには、穏やかなマジョリティーを無視できまい。彼らは冷静に判断していて、拒絶反応を誘発するような言動は、それを自然に避けるように思える。

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