2016年1月22日金曜日

智慧は行動に結びついてこそ

命がけではあったにしても、明治維新を成し遂げ、国の近代化の為に働いた志士たちの思想の中にあったのは、陽明学であり「知行合一」というものがあったのは疑いない。
陽明学は、認識と実践(あるいは体験)とは不可分と考える。
たとえば美しい色を見るときのことを例に取ると、見るというのは「知」に、好むというのは「行」に属する。ただ美しいと感じてその色を見るときには、すでにして好んでいるのであるから、「知」と「行」、つまり認識と体験とは一体不可分であって、両者が離れてあるわけではないとし、「行動を伴わない知識は未完成である」とも言い表される。
王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであるとを主張し、知っている以上は必ず行いにあらわれるとした。
知行合一は「知は行の始なり、行は知の成るなり(知ることは行為の始めであり、行為は知ることの完成である)」

こういう学問をしたのは日本のみではないが、惜しいかな隣国あたりでは、国の将来を考える者がいても王の気分で、才能あるものが重用されることがないばかりか、殺されてしまうという憂き目にあった。近代化ができる筈がなかった。
身分の上下に関わらず、実務に携わることは大事であることを知らねばならないとしていたかどうかということであろう。


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