何の説明もなしに「もののあはれ」を理解できるのが日本人だという。
平安時代の王朝文学を知る上で重要な 文学的・美的理念の一つであることには違いないが、折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる
しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。
本居宣長は、「もののあわれ」について、もっと深い考察をしている。
簡単に言えば「 ものごとの本質、その本質を感じる心」
外界としての「もの」と感情としての「あわれ」とが一致する所に生じた,調和的な 情趣の世界をとらえていう。
「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」
この情景・情感が黙って共有できる素養が、日本人にはあるのだと思える。
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