2016年7月28日木曜日

自然からの音が雑音としか聞こえないとは

暑い日差しの中で、キリギリスが鳴いているかと思えば、日が落ちての暗闇の中でコオロギも鳴くようになっていています。
日本人は、虫の声を風流だとして愛でますが、外国人にとってのそれは、雑音以外の何物でもないといわれているようです。

日本人の耳は、自然の風物の中の情景から、擬音として表現する言葉が数多く、それを不思議だとも思わない言語を駆使しています。

「しんしん」とは〔夜がふけていく様子〕 夜はしんしんと更けていった、とか〔寒さが身にしみる様子〕 寒さがしんしんと身に染みる、とか〔雪が降り積もる様子〕夜の闇の中、雪がしんしんとあたりに降り積もった、とかのように使われて、情景は勿論だが音として耳に聞こえている感覚も体感として理解できる。
同様に、燦々も、光が降り注ぐ光景を目でも耳でも感じ取る感性が備わっている。
外国人であっても、子供の頃から日本で育つと、そうなるらしい。

精神や心の働きが、それらを育ててきたように思うのです。

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