2016年7月5日火曜日

この先も感情的な修復は難しそう

我々の年代以前の人たちは、戦後間もなくの学校教育で、日本は諸外国に謝罪しなくてはならないのだと教わってきた。

仲良くしていくのには我慢してでも譲らねばならないということで、謂れなきことについても、ずっと謝罪を繰り返してきたと思う。

ちかし、K国は、どこまで行ってもも許す気は毛頭ないらしい。
それをしたら彼らの長く培ってきたアイデンティティが壊れてしまう域にあるように思える。
中華の属国として小中華を標榜するも、C国から苛烈な支配・制限を受けたから、その矛先は自国民に向かい、その民たちの鬱憤は日本を蛮国と蔑むことで紛らわしたということかも知れない。
よく用いられる、自分より下があるのだということで、現実逃避により精神的バランスを図る極めて稚拙な策であったのだと思う。
ところが、文化文明はかなり以前から日本の方が進んでいたことは紛れもあるまい。

手を変え品を変えいろいろ主張してくるが、どう値引きして考えてみても、K国の現在の発展は、日本の資本と技術援助のお陰だと思わざるをえない。

日本が植民地支配することで、すべてを奪ったと言いたいらしいが、どこの国に選挙権も被選挙権も与えられていた植民地というのが存在したというのだろうか?
清朝末期のころの李氏朝鮮の惨状は、諸外国の冒険家の撮った写真などでも明らかなように、およそ文明国とはいえず、糞尿にまみれたと表現された通りだったのではないだろうか。

戦時下であったから、酷いことを全くしなかったとまでは言わないが、併合時代に、教育も社会資本も底上げされた事実は変えようもあるまい。日本より諸外国がそれを指摘している。

我々の年代まではまだ良いとして、これから先を担う若者たちは、自分で事実関係を調べて本当のところはどうだったのか、ということを知ってしまったから、これまでの理不尽な要求に不快感を持ってしまっているし、かの国はかの国で刷り込み教育が徹底しすぎてしまっているから、これから先を仲良くやっていくのはかなり難しいのではなかろうか。

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