2018年11月11日日曜日

日本相手なら何をやってもよいということにはならない


韓国は一方的被害者だったと口を開けば言い張るが、被害者だったら何をしても許されるということではあるまい。しかも被害から抜け出そうと自ら戦ったことがない。他国のお陰で平和になってから文句ばかり言っているようにしか見えない。

日朝が併合していた時代は、そこも日本だった時代であった。
韓国が今も日本に要求している問題は、日本国内においても同様であった。
良いことも悪いこともあって当然だし、何もかも彼らにとってコンファタブルでなくてはならなかったとの要求をすること自体に無理がありすぎよう。

歴史にIFはないというが、併合がなかったら、いま韓国という国自体が存在していたかどうかは極めて疑わしい。
朝鮮戦争も、そういう意味では同様に思える。大戦以後に国が残せたのは、アメリカのお陰ではないのか?
いつの場合でもそうであったが、自国が先頭に立って戦うことはせず、他国の褌で相撲を取った。
そのために他国人の血の方が多く流れたのではなかったのか?
原爆写真入りのTシャツなど論外である。人間性を疑ってしまう。

いい悪いの問題ではないが、日本は自国の存亡をかけて戦ったのである。
徹底的にやったから、敗れた後は意外にさっぱりできたのではないのかと思える。
いわゆるオフサイドの感覚なのかもしれない。
自分が矢面に立ってあらん限りの力を振り絞ったことがないと、いつまでもグジグジしなくてはならない。哀れといえば哀れでもある。

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