2018年11月3日土曜日

感情論に言われ負けるのは歴史事実を知らないから?

日韓双方に、日本が軍事力で侵攻し、韓国を植民地化したのだと思っている人が多いようだが、
日韓が戦争したなどという事実はないし、ましてや植民地化したなどとはとても言えない歴史事実はなぜか伏せられているように思えてならない。
戦争もしていない相手国に対し、戦犯国だの戦犯企業だのと言い立てる神経が解らない。

日本の学校における明治以降の授業は、決まったように時間不足という名目のもと、避けられているから、歴史事実を知らないまま、声高に叫ぶ人たちの宣伝等を刷り込まれ、それに従っているように感じる。
日朝は、戦争などしたことはない。

征韓論などという言葉のみを記憶して、それがどんなものだったかを知ろうともしていない。

征韓論は、明治新政府発足後の日本で唱えられた「朝鮮を武力によって開国させよう」という主張であるが、当時の朝鮮は中国の属国として搾取され続け、疲弊の極にあった李氏朝鮮王朝が400年以上も続き、鎖国が基本的な政策としてとられていた。
それに対して当時の日本の政治家たちは国防的な観点と、朝鮮が明治新政府の正当性を認めようとせず排日の色を強めていったことから、武力による開国を迫るべきだという意見を持つようになっていた。
一見物騒な話であるが、当時の日本の状況下を考えると意味のあるものであった。
しかし征韓論をめぐっては、明治政府内で賛成派と反対派の論争が沸き起こっていた。

征韓論を唱えていたのは、明治維新でも活躍した江藤新平板垣退助たちで、大久保利通や木戸孝允ら岩倉使節団の欧米視察の時に日本に残っていた留守政府の首脳であった。
征韓論というと中心人物の一人として西郷隆盛の名前が出てくるが、西郷の考えは江藤、板垣らとは少し違っていた。西郷は朝鮮への出兵にはむしろ反対で、まず自らが使者として朝鮮に赴くといういわば「遣韓論」と呼ばれる立場にたっており、主戦派を抑える側に回っていた。

征韓論に対して真っ向から反対したのが、大久保利通・岩倉具視・木戸孝允など岩倉使節団として欧米を視察してきた政治家達でした。彼らは欧米と日本との国力の違いをいやというほど見てきて、今の日本は内政の充実と国力の増強が第一で、国外のことに干渉したり戦争をしたりする余裕がないことをひしひしと感じていました。そのため、いま朝鮮への出兵は時期尚早と反対したのである。

当時から日本の北方には強国ロシアの存在があった。国土の大部分が極寒の地で不凍港などが少ないことから、歴史的に南下が重要な国策となっていたロシア。
幕末には対馬にロシアの船が現れ、強引に土地を占拠し滞留するという事件が起きてもいた。樺太の領有権を日本と争うなど、日本、朝鮮はロシアの南下政策の脅威に常にさらされる状況下にあったのである。日本にとっては万が一朝鮮をロシアに占領されてしまったら、自国の防衛がより難しくなります。だからこそ朝鮮に対して開国をして国力を上げるよう働きかけつつ、国防体制を整えることが急務であった。

そういう状況下にあって、結果的には征韓論者は破れ、失脚した。
後に朝鮮側の懇願により、日朝は条約により併合されるが、朝鮮の最大の庇護者であった伊藤博文は、朝鮮人により暗殺された。このテロリストが韓国では英雄とされている。

いずれにしろ、日清戦争により日本人の多くの血を流して、朝鮮は中国から独立できた。この戦争に、朝鮮は1兵も出していない。

日朝併合以来、貧困の極みにあった朝鮮は近代化に進み、繁栄の基礎を築けたのではないのか?歴史をきちんと学ばなくてはならないのは、韓国ではないのか?
隣にある反中・反ロは恐ろしくてできないくせに、反日・反米は臆面もなくすることが、どうにも理解できない。


0 件のコメント:

コメントを投稿