2018年11月19日月曜日

約束は破っても平気?

韓国の不実はいまに始まったことではない。明治時代の知識人、福澤諭吉は当時すでにそのことを看破していた。とにかく、約束を守るということができない。
その場凌ぎで都合よくやりすごすだけで、最初から守る気がない。
「脱亜論」で彼はなぜ朝鮮を見限ったのか。その背景にある思想に学ぶべきだったのに、日本はそれをしてこなかった。さんざん約束破りを繰り返してきた民族の持つ特性は、簡単には変わらないということを知っていないと判断を間違う。

 《左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。既に従来の国交際上にも屡ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ》(『時事新報』明治三十年十月七日)
 これは福澤諭吉の言葉であるが、まさに現在の日韓関係の本質を言い当てているではないか。ただ、福澤は決して「嫌韓」論者なのではなかったという。
有名な「脱亜論」もそうである。彼は西洋列強のアジアへの帝国主義的な侵略にたいして、明治維新によって近代化の道を拓いた日本こそが、中国や朝鮮にたいして力を貸して共に連帯して抗すべきであると考えていたのだという。
それは今現在で考えてみても、相変わらず難しい。価値観が違いすぎる。
実力の伴わない華夷思想に囚われていて、自分がいつも上位であると信じ込んでいる。
易姓革命の思想も引きずっているから、王朝が変わるときと同じで、大統領が変わればそれ以前のことを否定してしまい、国際間の条約すら反故にするから、約束が約束にならない。

約束を守るということと時効の概念は、法治国家としての根幹をなす大原則である。
感情を最優先し、約束を破ることが当たり前では、近代国家としての信頼は永久に得られまい。
徴用工裁判も、日本企業を被告とするのではなく、韓国政府を相手取ってのものであったなら、何の問題も起こらなかった。それが法というものである。
韓国の司法は、訴因への判断が甘すぎないか?

厄介なことに、他に火病というのがある。これが発症すると手がつけられない。
火病または鬱火病はれっきとした病名で、怒りの抑制を繰り返すことで、ストレス障害を起こす精神疾患を指す。
現行の『精神障害の診断と統計マニュアル』には記載がない。 アメリカ精神医学会は、火病を「朝鮮民族特有の文化依存症候群の一つ」として扱い、『精神障害の診断と統計マニュアル』の付録である、文化に結びついた症候群に記載が見られる。集団ヒステリーさえ起こす。
これがある限り、価値観の共有は難しい。

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