2019年2月11日月曜日

決まったことはまず守らないと


専制君主が神のような政治を行うことができれば、意思決定は早いし、国民は幸せになれるのかも知れないが、君主が人間である以上、それは不可能であろう。
北朝鮮を見ているとそれが良く解るが、強い指導者が統治しないと纏まらない国はあるのかも知れない。
絶対多数の幸福を目指すために、民主主義というのができたのだと思う。
しかし、誰もが価値観を同一なものとしているのではないから、全員が政策決定に納得できることはない。プロパガンダに乗せられて衆愚に陥る危険性というのはありうる。
半日法のようにあらかじめ大枠の世界を作っての選挙では、偏りが出ても当然である。

意思決定の為には、いろんな段階を踏んできたのが歴史の流れの中にある。
古代ギリシアの民主政ポリスにおいて、参政権を獲得した大衆が烏合の衆と化して無定見な政策の決定を行った政治を指して衆愚政治ということがある。
そのような直接民主制のデメリットというのには、大別して3つあるのだとされる。
1.     一般大衆には十分な能力がない。
2.     意見が多く出すぎて、一つにまとまらない。
3.     マイノリティーの無視をどうしてもせざるを得ない。

いずれにしろ、民主主義というのは議論を尽くして結論が出たら、それに従うというのがいまのところのルールであろう。
精度が成熟して、政権が交代することが可能な国は、大抵の場合意見が2分しているのが普通であろう。そういう国が何かの問題で国民投票をしたら、国論が2分して収まりがつかなくなるのは容易に想像できる。イギリスなどが今それに苦しんでいる。

アメリカ大統領の一般教書演説というのがあった。ご存知の通り2大政党の国であるから、簡単に物事は決まらない。常に半数近くの反対者がいるのである。
例によって部分を取り上げ、選挙で選出された大統領であることに敬意も払わず、上から目線でああだこうだと文句を述べている人が居るが、その演説に対する米国での調査によると、かなり高い評価をうけているのだという。そういう報道はないから、認識を間違う人も出てくる。

日本の報道などでみていても、他国のことなのにリベラル色の強い識者?というのが出てきて批判がましい意見を述べていることが多いけれど、ニュースソースはどこから得ているのだろう。
他国のメディアの受け売りでそれを言ったとしても、それで他国の政治が変わるわけがない。

自分たちだけに都合が良いものを抜きにしても、百人百様の意見をまとめる良い方法というのはないものなのだろうか。

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