2019年2月18日月曜日

住み着いたところに馴染もうとしないから


現在は観光地として名高い韓国最南端の済州島。
だが、朝鮮戦争と前後して、その地の住民は李承晩大統領による徹底的な弾圧を受けたことにより、人口が9分の1になる「地獄」を経験した島でもあることは、余りにも有名である。
しかしそのことは、韓国内で徹底的に伏せられた教育を受けた韓国人には知る人が少ないのではなかろうか。
島民の多くは、命からがら祖国を捨てて日本に渡り、大阪・鶴橋のコリアタウンに集まるようになった。当時の韓国大統領李承晩は、なぜヤクザ崩れの暴力組織まで使って、自国民を虐殺しつづけたのか?自らの権力を固持しようとして狂っていたとしか思えない。
そんなわけで、今の在日韓国人の大半は、済州島の出身者が占めると言われている。強制連行されたのではなく、いうなれば日本への不法入国であった人たちが多いのだが、強制連行されたと言い張った方が何かと都合がよかったのだということは、その後の日本の対応を見ているとよく理解できる。
この美しい島は、第2次世界大戦が終わった後、2度も地獄と化した。1948年の済州島虐殺事件(済州島四・三事件)と、1950年からの保導連盟事件に連動した大弾圧である。
李承晩は、自分の権力を保持するために、北部との対立を後回しにして、南部朝鮮単独で国家樹立を先行させるべきと考えていた。
そのようなことをしてしまえば、民族が分断されることになりかねないとして反対する者もかなりいた。その代表が金九(キム・グ)や金奎植(キム・ギュシク)や呂運亨(ヨ・ウニョン)であった。
しかし、金九と呂運亨はその後、李承晩派とみられる 人物によって暗殺された。

済州島では事件前(1948年)に28万人いた島民が、1957年には3万人弱にまで激減したとされる。
異常を通り越している。
済州島四・三事件及び麗水・順天事件で、韓国政府は躊躇することなく殺戮しまくることで自国民を鎮圧したが、その後共産主義者の反政府活動及び保守派の主導権争いのために政情不安定に陥り、経済的困難の深刻化もあり、結果、多くの朝鮮人が海をわたり、日本に秘かに入国したのであった。正確な数を把握することは出来ないが、1946年~1949年にかけて、検挙・強制送還された密入国者数は5万人近く(「戦後における在日朝鮮人の人口現象」『朝鮮学報』第47号)に達し、未検挙者をその3倍~4倍と計算すると、密入国者総数は20万人~25万人規模となると推定される。

彼らは日本政府の恩情により永住権を得て住むことができるようになったのであるが、残念ながらその恩義を忘れ、反日活動に勤しむ者が多いということも指摘されている。
日本人の多くが、韓国人は日本に強制的に連行されたのだと思わされているが、そんなことはない。強制的に連れてこられたのであれば、戦後いくらでも帰国できる機会はあったのである。

中国人華僑が地域に溶け込んで、移住先の国々で友好的に過ごそうとするのに比べ、朝鮮人は民族の持つ性格がどこに住んでも協調的になれないから、日本に限らず世界のどこに行って棲みついても嫌われて、排斥運動の対象になることが多い。

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