2019年2月15日金曜日

言いすぎてしまって引っ込みがつかない


日本語における一人称単数を表す言葉は、私・自分・拙者・某・身ども・小生・儂・・・あげればいくらでも出てくるほど多い。
日本人は、基本的に自分というものを前面に出して主張することを控えて公というのを大事にするから、その場その場に相応しい謙虚な姿勢を示すことを考えてできあがったのだと思う。

それに引きかえ、大して実力もないのに思いあがって俺が俺がをひけらかしたい人ががあまりに多すぎて、至る所で引っ込みがつかない暴言を吐いてしまう国というのがある。
天皇陛下に対する暴言を吐いてしまったのに、自らでは何ともならず、アメリカに執り成しをしてくれと泣きついている情けない人が、彼の国では三権の長なのだとか。
その三権の長のもう一人である大統領でさえ、三権分立などと大見えを切ったすぐ後に、最高裁判所の長官であった人を逮捕させたし、自分の側近の何人かが違法行為で逮捕されたのに対し、司法介入をしているのだというから、言っていることとやっていることが大違いである。
法治国家ではなく情治国家であるという事をまざまざと見せつけられることが続いている。

とにかく一人一人が勝手気ままに突拍子もない妄言を吐き散らすから収拾がつかない。
こんなことだから、正気を取り戻すまで(そんなことはないかも知れないが)、丁寧に無視するしかないということになるのは仕方があるまい。

0 件のコメント:

コメントを投稿