2019年7月19日金曜日

踏み倒す気満々


抱きつき心中というのは、合意なしに相手を道連れにして死ぬことをいう。
溺れる者は藁にも縋る、というのもある。見境が付かなくなっているからである。
溺れている者を救助するのは非常な困難を伴う。

読んで理解することがなかなか難しいものに哲学書というのがある。
しかし、それは緻密に論理的に組み立てられているから、丁寧に読んでいるうちに理解することができる。
ある種の病に侵されている人の話というのは、いかに注意深く聞いても理解には至らない。
一文一文だけなら、その文節は意味を理解することはできるが、文章全体ということになると、文脈は支離滅裂で論点が何処にあるのかが全く理解できなくなる。
最近、某国の新聞の日本語訳がネット上に氾濫している。よせばいいのに、ついつい読んでしまう。
少しでも彼らの主張を理解してあげようと読んでみるのだが、読後に感じるのは、一体何をいいたいのか解らないということでは共通している。論理の一貫性が保てない冗長な文章であることもまた共通している。
嘘を嘘で固めて、自分に都合が良い結論に持ち込もうとするから、どうやったところで論理的に破綻してしまうのであろう。
ネット上で某国の記事が掲載されているのを見かけたら、我慢して読んでみれば判る。
後味の悪さだけしか残らない。人間性をかなぐり捨てないととてものことに書けない文章であることは間違いない。彼の国の人は、これを理解できるのだろうか?

末期症状なのかどうかわからないが、取りすがられて深みに引きずり込まれないように用心しなければならないとしか思えなくなってきている。

通常国にはコルレス銀行Correspondent Bank) というのがある。外国に送金するにあたり、その通貨の中継地点となる銀行であるが、韓国の銀行は国際的にその機能が凍結されているから、銀行間決済ができない。日本の銀行がそれをしてやっているのであるが、それを止めるのが送金停止の制裁手段とはなる。同様に、韓国の銀行は信用がないから、輸出入に関する信用状の発行ができない。
日本の銀行が手を引けば、韓国経済はたちどころに壊滅する。
しかし、韓国に貸し付けている資金が膨大過ぎて、その制裁を即座にやるというわけにはいかない。
「日本の損害の方が大きくなる」と言って凄んでいるのは、いざとなったらこれを踏み倒すぞ!
と言っているのである。居直り方が半端でない。
韓国政府がやった徳政令は、外国資本の銀行がどのような損害を出しても一向に構わないと考えたことから出た政策であり、無法国家の考え方の顕著な現れである。
国際条約は守らない、借金を返済するくらいなら踏み倒す、失敗したら北朝鮮に逃げ込む気で満々なのだから手に負えないのである。

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