2019年10月16日水曜日

隠そうとすると現れる


独裁者が自らの政権を守るために陥りがちなことの一つに、国民の意識を逸らせる必要からか、知られたくない情報を強権をもって遮断するという策をとることがある。
C国ではそれをやっているようだが、政治から目を逸らさせるために、スポーツや芸能の番組を見ることができるようにしているが、為政者の都合でそれを取りやめることを安易にすると、反動の方が大きくなる。
現代においては、その策というのをネット検索できなくするとか、外国の番組の放映をやめてしまう(例えばアメリカのバスケット)などということをするのであるが、大抵の場合それは逆効果となる。
何故かと言えば、人間の欲望の動き方を見誤っているからである。
隠されればそれをどうしても知りたくなるのが人の本性であり、その気になればどのように隠そうとしても調べることができるテクニックを身に着けてしまった人が出てきている。
そのことによって、政治などには全く無関心であった層が、直接外国のニュースを目にする機会が増える。
今までとは違って、自国のメディアの情報だけに誘導されなくなってしまうということになる。
検索画面を閉じているくらいでは、それを簡単にすり抜けてしまうからである。
真実は説得力をもっているし、流れを読み解くのにも整合性を持っているから、知られたくない事実が深く浸透して広まる。即ち、隠したことが逆効果になるということである。

次に、よく使う方法としては、綿密な筋立ての基に国民が納得しやすいように流れを作って仕組むというのがある。策であるから、いずればれる。
穿った見方かも知れないが、韓国の法相の辞任劇というのもそうなのではなかろうか。
彼には最初から泥をかぶってもらう作戦であったから、多少のごり押しは予定通りであった。
改革される側の検事総長も、大統領が抜擢人事で指名したのであったことも見逃してはなるまい。
デキレースを仕組んだのだと考えないと辻褄が会わない。
国論を二分するほど揉めた任命劇であったが、このタイミングで法相が辞任した(或いは因果を含めて辞任させた)こともできすぎに映る。
法相が辞任したことで文政権に打撃だという表面的なニュースにして目先をそらそうとしているのではないのか?
検察改革の大目途はつけてしまったから、後はどのようにでも対処できるとの目論見が成り立つからである。
残るのはこのドサクサに紛れて、自分に権力が集中する法案を通してしまうことである。そうなれば、誰も手を出せない絶対権力者になれる。
権謀術策は彼の国の為政者の特技である。無能を装っているように見えて、目的達成の実をとったのだと言えなくもない。かなり強かな策士なのだと感じさせられる。
そう考えないと、法相任命前の反対を押し切ってまで強行した理由に説明がつかない。
任命責任をうんぬんされることは織り込み済みだったのではないのか?と考えるのが普通の見方であろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿