2020年9月18日金曜日

足を引っ張りたくて仕方ない?

 

水清ければ魚住まず、という。

清流でなければ生きられない魚というのはいるが、大抵の魚はそうではない。

清濁併せ飲むのでなければ成し遂げられないことが、現実の社会ではありうる。

例によって変なレッテル貼りをして悦に入っているだけの野党には全く期待できないから、新しい内閣に希望をつなぐしかない。

 

総裁が決まり総理が決まり組閣もなったが、しばらくは自分のことは棚に上げた正義漢が幅をきかすようになる。自分の思惑を通そうとすることが優先する。

極端に人間性に問題を抱えているのでなければ、政治家に清廉潔白であることを求めすぎても仕方ないと思うのだが、任命責任がどうだのこうだのと騒ぐようになるのが目に見えるようだ。

実力者に仕事を任せるという観点は度外視して、国益を考えての働きとその成果をあげることに注力する政治家を槍玉にあげようとすることに専念する輩が出てくるが、彼らには協力して国を盛り上げるという気はないのだろうか?

それら制限を加え、足を引っ張ることが目的となっているようにとれる論評を得意げに述べる者が幅をきかすようになるのは何故だろう?

 

公僕たる官僚が潔白であらねばならないのは当然であるとしても、選挙による洗礼を受ける議員と同列に扱うことには疑問を覚える。実効を上げられる政治家でなければ意味がない。

方針を決めるのは政治家であり、それを実現できるように働くのが官僚であるべきである。

国の方針が決まってもそれに従わない官僚がいたら、移動されるのは当然である。

ビーチ前川のような公務員が責任を負うことなく出世することができることの方が、よっぽど問題だと思うのだが・・・

政府の方針に異を唱える官僚を移動させるのは、法に基づいてされるのだから当然である。

官僚のOBが、その出身省庁の人事に嘴を入れることで捻じ曲がっていた弊害を是正しようとしてできた内閣人事局がさもさも悪いかのようにマスコミと野党が囃し立て始めたが、法ができた原因と理由を無視してはならない。

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