2020年9月29日火曜日

確かにあった文字の歴史

 

わが国には古文書と言われるホツマツタエやタケウチモンジョというのがあり、それらは神代文字というもので書かれているのだという。神代文字は言霊文字なのだともいう。

記紀の内容と重なる部分もあれば違うところもあるというが、偽書ということにされていて正面から研究されていないというが、古事記というのは、多くの学者が研究している。

稗田阿礼が口誦したものを太安万侶が記述したのだと学校では習った。

稗田阿礼については、「古事記の編纂者の一人」ということ以外はほとんどわかっていない。同時代の『日本書紀』にもこの時代の事を記した『続日本紀』にも記載はない。『古事記』の序文によれば、天武天皇に舎人として仕えており、28歳のとき、記憶力の良さを見込まれて『帝紀』『旧辞』等の誦習を命ぜられたと記されている。元明天皇の代、詔により太安万侶が阿礼の誦するところを筆録し、『古事記』を編んだ。

稗田阿礼が驚異的な記憶力を持っていたということを否定する気はないが、古事記以前に日本古来の神代文字で書かれていたホツマツタエ等を下敷きにした可能性というのはないのか?

為政者側が編集の段階で都合が悪いことを歴史としては書き換えたと考えても不思議なさそうに思える。

何と言ったって、日本独自の文字を漢字に変えてしまった理由は、知られたくないことが分らないようにしたのではないのかとの疑いだって残る。

漢字圏で音読みと訓読みがあるのは日本のみである。

音読みは中国語であるが訓読みは日本古来の言語に対応したものである。漢字の意味が解らないとき、音ではなく訓読みすると解ることをもってしても、確立した言語体系はあったのだと推定できる。

古文書は、偽書と決めつけるだけでなく、研究して、どこがどうして偽書とされるのかを明確にした方がよい。それとも、それはもう成されているのだろうか。

だとしたら、日本の処方に残っている神代文字はどう説明するのか?

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