2020年9月23日水曜日

もう自由に参拝しても良いのではないか?

 

安倍氏が靖国神社に参拝したということで、また騒ぎたい連中が出てきたみたいだが、国のために命を捧げた英霊に感謝するのは当然なのだと思う。参拝することが戦争に結び付くなどというのは妄言そのものであり、特亜三国の政治カードにいつまでも付き合うこと自体がおかしい。

マスコミは空とぼけているようだが、日本にはもう戦犯と呼ばれる人はいない。

彼らはそんなことは百も承知で、国民の多くが知らないのをいいことにして、未だに騒ぎ立てるのはあざとすぎる。

あの共産党まで含め、国会が全会一致で決議したことを無視して、反日的な意向の方を重視するような論調に蒸し返すのは、一体何を狙ってのことなのか?決まったことを蒸し返すのは害の方が大きい。

 

8月15日が終戦日となっているが、9月2日が東京湾上の米戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書調印式が行われた日である。

 

日本は敗戦したことで東京裁判の判決を受け入れざるを得なかったが、裁判とは名ばかりの事後法によるリンチまがいの復讐劇である側面を指摘されてもいる。

インドのパール判事が述べた通り、ハルノートのようなものを突き付けられたら如何なる小国と雖も戦わざるをえない状況であったという弁護は、受け入れられなかったけれど、正論であったと言えよう。

日本人でそれを知る人は少ない。それを隠しているのが日本人であるからである。

 

戦争犯罪を裁くというのであれば、既存の法に従って裁くべきであるがそれをせずに事後法に拠ったし、明らかに国際法を無視して民間人を標的にした東京大空襲も裁かれねばならないが、戦勝国側はそれを無視した。

B級C級の裁判も、インドネシアにおけるオランダ軍による裁判なども常軌を逸している。

武装解除した日本兵捕虜の処遇が酷かったのは、オランダとロシアであった。

米国の日本占領軍は、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムWar Guilt Information Program、略称:WGIP)を徹底して、日本人を悪者だと洗脳するよりほかなかった。

 

現在の日本人はその宣伝が行き届いてしまっていて、日本悪者説が罷り通ってしまっているが、

戦後しばらくの間の日本人には、まだ気骨が残っていた。

戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議とは、衆議院海外同胞引揚げ及び遺家族援護に関する調査特別委員会委員長山下春江が議案提案し、自由党改進党右派社会党左派社会党無所属倶楽部の共同提案のかたちで1953(昭和28年)8月3に衆議院本会議に上程され、旧社会党、共産党を含む全会一致で可決された決議である。

共産党と社会党の議員までが賛成したのである。いうなれば、日本人の総意だった。

 

戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議
 八月十五日九度目の終戦記念日を迎えんとする今日、しかも独立後すでに十五箇月を経過したが、国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、国際友好の上より誠に遺憾とするところである。しかしながら、講和条約発効以来戦犯処理の推移を顧みるに、中国は昨年八月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年六月初め大減刑を実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フイリピン共和国はキリノ大統領の英断によって、去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得たことは、同慶の至りである。且又、来る八月八日には濠州マヌス島より百六十五名全部を迎えることは衷心欣快に堪えないと同時に、濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである。
 かくて戦争問題解決の途上に横たわっていた最大の障害が完全に取り除かれ、事態は、最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので、この機会を逸することなく、この際有効適切な処置が講じられなければ、受刑者の心境は憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである。われわれは、この際関係各国に対して、わが国の完全独立のためにも、将又世界平和、国家親交のためにも、すみやかに問題の全面的解決を計るべきことを喫緊の要事と確信するものである。
 よって政府は、全面赦免の実施を促進するため、強力にして適切且つ急速な措置を要望する。
 右決議する。

 

19524月に占領が終わり、日本は主権を回復する。この後、極東国際軍事裁判により「戦犯」とされた人たちの早期釈放を求める国民運動が起きた。この運動に連動して、「戦犯の赦免勧告に関する意見書」が日本弁護士連合会の手によって政府に提出されたことなどを契機とし、日本国内において4千万人にものぼる署名が集まることとなった。こうした世論の高まりを受けた政府は、サンフランシスコ講和条約第11条に基づき、10月までに全戦犯の赦免・減刑勧告を旧連合国に対し行った。

 

日本が法治国家だというならば、国会の決議を得た法案により、日本に戦犯というものはいないことになる。マスコミや野党は蒸し返して戦犯という言葉を好んで使うが、それも歴史歪曲の一種ではないのか?

靖国神社で静かに眠っている英霊たちの功績に感謝し顕彰することがあってもよいのではないのか。尊い命を捧げて国のために戦ってくれた方々に感謝するのは普通のことではないか。それが戦争の美化に繋がるとは思えないし、再び戦争をする道に繋がるなどという主張は妄言であるとしか聞こえない。日本人がそれを口にしたら情けなさすぎる。

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