耐えがたきを耐え、忍び難きをしのび・・・
良く聞かされたいわゆる玉音放送と言われるものである。
戦後一貫して、マスコミは切り取り放送で国民を誘導することに慣れ過ぎて、国民が独自に自分で情報を取得できるようになっているということを軽く見過ぎているようである。
反省もなく繰り返すそれが行き過ぎて、国民は反発するようになってきた。
そのいい例が、A新聞の発行部数が500万部を切ったという情報。押紙を除いた実数では、既に350万部を割っているのではないかともいわれている。
それはそうだろう。捏造報道や偏向報道を繰り返し、日本を貶めることにばかり熱心では、健全なる読者が離れて当然である。
玉音放送も、この部分だけを切り取り、皇居前に平伏している国民の姿の映像とともに流して、反戦のために使うのは、どうも違うのではないのかと感じるようになった。
玉音放送があるということで集まった国民は、最初のうち直立していたが、天皇陛下が切々と述べる真情に触れて、聞き入るうちに気づけば知らず知らずに平伏したのだと思えてならない。
それによって、敗戦したにも拘わらず、日本国内が混沌たる状況を招くことなく、復興に向かって立ち向かう覚悟を決めたのだと思えてならない。
玉音放送というのを全文聞いたことがある人は一体どれくらいいるのだろう?学校では教わらなかった。
同じく、開戦の詔勅というのも知っている人は少ないのではなかろうか。
それらを全文知られてしまうことに不都合だと思う動きがあったからではないのか?と思えてならない。
戦争を肯定する心算はさらさらないが、相手があってすることは、どちらか一方だけが悪いということは滅多にあるまい。
ものごとを判断するには全体像をつかまなくてはならないということは基本である。
それをしないで全否定されたままで過ごすことは、どう考えても非常理である。
取り返す術はないにしても、知ることによって失った誇りは取り戻せるのである。
フランクリン・ルーズベルト大統領の前大統領であるフーバー氏の回顧録が発表されたという。長い間タブーとなっていたが、真相が明らかになってくることは良いことだと思う。
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