2021年7月13日火曜日

やっかむようなことはしない

 

日本語は近隣国の言語と全く違う。似てもいない。世界諸国の近隣関係と較べても稀有な状態である。

日本は縄文時代から他民族国家だったと言われていることを考えれば、独自の文化を既に発達させていたからだと思える。

 

古くは中国から、明治維新後は欧州から、大東亜戦争後は米国から多くを学んだが、それに染まりきってしまうことはなかった。文化を取り入れたことを隠してもいない。

文化の良いところだけ掬い取る網があるかのように、日本古来の文化と融合させてより優れたものに昇華してしまう。起源説など唱える必要性もない。

 

フランスではこのようにする、ドイツではこのようにすると、他国にも自国のやり方を押しつけようとするが、「日本は~のようなことはしない」、というのが形として定着している文化である。何事も神につながっているという認識だからそうなる。自然に存在するもの、携わる仕事に関連するもの、そのすべてに神を見出すからそうなる。

他国から学んだことを隠さねばならない理由はないから、起源説など唱えない。

他国の優れたものに対して起源説を唱えたところで、それを発展させることができなかったことが現状なのだとしたら、それを口にするのは恥以外の何物でもあるまい。考えることくらいなら誰でもできる。それを役立つように発展させることができたかどうかが能力差である。

日本は他国から学んだことを正しく残しているから、中国も印度も自国で失われてしまった文化を取り戻すには日本に来て研究するのが良いと言われている。新しいものを取り入れつつも古いものを保存し続ける能力が、日本にはあるのだということになる。

0 件のコメント:

コメントを投稿